ある女性、確か30代半ば(?)。
彼女が友達のことで悩んでいるという。
10年以上も付き合いがある友人と
最近になってギクシャクしてきたのだそうだ。
少しお洒落をして
素敵なレストランで美味しいものを一緒に食べる。
どうやらその友人の話が愚痴ばかりで聞いていて疲れるという。
言われるのは分かっている。
(分かっているのなら聞かないでください。でも、ヒツジとは言わない。
相手が愚痴を言いながら
どれだけ瞬きしているか数えていろ!と言う。)
会わないようにしたいけれども、
10年もつき合ってきたので
その年月を考えるとどうしても踏み切れないという。
年月か・・歴史ですか。
分からないでもない。
友人関係でもこんなに別れるということにパワーを使うのだから
離婚となればもっともっとそれ以上だ。
最近、
話をしてきた彼女に新しい彼氏が出来たらしいが、
それから余計に彼女と友人との関係がおかしくなったらしい。
(彼女が失恋したときには、その友人に沢山話を聞いてもらったそうだ。)
それって友達なの?
(心の声)
そもそも友達って何??
というか、
友達って
この世に実在するものなのか??
このお話から
またまたプチ哲の世界へと
ワタシは旅立ったのであ~る。(酒付きで)
人それぞれ友達の概念は違う。
我が息子なんて、
保育園の子供達全員を【お友達】というし
マンションでお会いするチョコボールな彼のことだって
お友達という。
トッキュウジャーショーに出掛ければ
司会のお姉さんが
『はい!もっと元気な声を出せるかなーー。
元気な声を出せたお友達はどこかなーー。」
会場全体の子供たちが初対面なのにすっかり【お友達】だ。
”お母さんといっしょ”を観ていた時代も
お姉さんは、
「テレビの前のお友達ーーー♪」と
見えていないのに
街を歩けば、同世代のお子様は皆、【お友達】だ。
「ほら!お友達は自分で歩いてるよ。」「ほら!お友達はちゃんと出来ているよ」
「次はお友達にブランコ譲りましょうね。」「お友達に”貸して”と言ってごらん?」
親御さんは、同じ位の子供達のことを
「あの子は・・」と言わずに
「お友達は・・」と言う。
初めは非常に戸惑い心の中では毎秒ツッコンでいたのでありますが、
今はもうすっかり慣れています。
これがママ業界でいう業界用語なのだな
・・と得意げに使ってみたこともありましたが
やはり私には肌に合わなかったようで
今はこの業界用語を
一切使えなくなりました。
話が逸れました。
とにかく、
息子の友達の概念は、果てしなく幅広い。
お気に入りのぬいぐるみだって
「◯◯くんのお友達♡」と言って仲良しだ。
友達ってなに??
彼女に聞いてみた。
一緒にいて楽しくて、何でも話せる相手かな。
話を聞いてもらえたり相談出来る人、お互いに。
それに、大切だなって思えること。
何でも話せる・・か。
あなたの愚痴は聞きたくない。
聞いていて辛い
と伝えられていない。
それに、今は一緒に居て楽しいと思っていない。
ワタクシ個人の意見だが、
友達の幸せを心から喜べないなら
それは真の友達ではないように思う。
(というか、
同じ人間でもその時の体調や気分によって
心から喜べる時と喜べない時がある。)
あなたに彼氏が出来たことをその友人は喜んでいない。
人が辛い思いをしたり悲しい思いをしている時に
寄り添ってくれるのはとっても有り難いことだと思う。
真の友達は、
人が喜んでいるとき、成功したとき、幸せなときに
一緒に喜べるというのが本物のような気がするがどうだろう。
失恋したときに、側で一緒に泣いて慰めてくれるのも本当の友だと思う。
辛いときこそ側に居てくれる、力になってくれるのも真の友だと思う。
新しい幸せを掴んだとき、嬉しいことがあったときに
自分のことのように一緒に喜んでくれる人。
辛い時も幸せな時も変わらない。
いつもそこに居てくれる。
(実際に会わなくても)
そういうものだと思うがどうだろう。
失恋したときだけ、優しく慰めてくれて
新しい幸せを掴んだら態度が冷たいて。。
(もしかしたらその友人は、
友達の幸せを素直に喜べない自分・・・と
自己嫌悪に陥っているのかもしれないよね。)
今度は、声に出して言う。
それって友達なの?
それとひとついい?
心を開いて何でも話せるのが友達と言うのなら
ワタシ、
ひとりも友達おらんわw
何でも話せるとなったら誰もおらーーーん。
定期的に会う人なんて皆無ぅーー。
私、友達一人もいません!
と自慢してしまうかもしれない。
それでも全く問題ないし、不思議と孤独感も寂しさもない。
なんとか堪えてここで止めることが出来たぜ・・。
また長々と書く所だったぜ・・。