子育てに正解はないというお話をよく聞きますが、
では不正解はあるのか??
やはり、不正解もないものなのか?

身体的、心理的、性的な虐待は法律でも禁じられているので、
これこそが子育ての不正解だ!と
もしかしたら世間的にはそうなるのかもしれません。
そうはいっても、私を含め子育て中の方々は
もしやこれは虐待かも?このままいってしまったら完全に虐待してしまうかも
という不安や恐怖を持ったことがあるのではないかと思います。
もちろん私は、あります。
私の場合、特に眠れない日々が続いた時に息子の怪獣っぷりが重なると
誰のおかげで寝られないと思っとんじゃー!!というイライラがつのり
そういった不安や恐怖に押しつぶされそうになり、
今すぐにでもココから逃げ出したい!という気持ちになったことは数しれず。
そうなのです。我が母にも常々話しているのですが
ワタクシは、自分がいつかネグレクトをしてしまうのではないか
という恐怖があります。
何度か息子を部屋に残してゴミ出しに出たことがあります。
『ぴ~ちゃん ◯◯くん 独りだと寂しいでしょ~!
◯◯くん可哀想でしょー!
』と泣きながら息子に怒られました。
ひとりになりたかったんだ、ごめんね。もう落ちついたから大丈夫。
あのままゴミ出しのため出たまま帰らないという可能性もあったのかもしれないし
なかったのかもしれない。
子供を一人で部屋に残してゴミ出しに行くなんて!!虐待です!!と言われれば
そうなのかもしれません。
あなたの子育ては不正解です!
と言われれば、おっしゃる通りでございますと反論しません。
ですが、私は一人でゴミ出しに部屋を出たことにより、
高ぶったイライラを落ち着かせることができました。
これは他人からみれば不正解なことかもしれません。
私もこれを正解だと堂々と言えませんが、あながち不正解ではないと思うのです。
(自分がしたことを正当化したいのではありません)
今さっき、どうしようもなかった。
これしかなかった。こうするしかなかった。
現場を離れることしか思いつかなかった。
そういう時もあるよ。
よくそう言って自分を慰めています。
もうどうしようもなかった。
子育て中にそういったことってよくあると思うのです。
どうしようもなくイライラして怒鳴ってしまった。
イライラを抑えきれずについ手をあげてしまった。
我慢の限界で子供に言ってはいけない暴言をはいてしまった。
顔も見たくない声も聞きたくない、と子供を置いて家を出てしまった。
このどうしようもなかった、というのが思いの外、
いき過ぎてしまったときに、
とっても悲しい結果になってしまうのかもしれません。
だから私は、
そういった悲しい事件の当事者を批判できないし非難もできない。
⇒”あと一日遅ければ私は・・”
以前も書いたのですが、
ワタクシは現在、ニュースをみたり読んだりしていないので、
大抵の世の中の事件というものを知りません。
皆さんご存知かもしれませんが、
渋谷駅で幼児を怒ってしまった母親の動画がYouTubeにアップされ、
その存在を最近になって知人から知らされました。
ワタクシの観たあとの感想、
ヤバい。。でした。
私もそうなってしまう可能性大だ、でした。
それと、
この母親はかなり追い詰められているのではないか。
他人がたくさんいる前で
自分を抑えることができない。
他人がいるのに感情を抑えることができないまでに追い詰められている。
自分と別の人間がいると人の目があるので
大体にして感情は抑えられるものです。
自分の嫌な部分を他人に見せたくないし、
『母親』という人種の場合、
出来ることならば『いい母親』とみてもらいたいものだと思います。
(全てではないにしろ)
それなのに、
人目もはばからず自分の感情のままに行動しているこの母親は
かなりいっぱいいっぱいなのだろうと思ったのです。
知人に動画を観たことを報告したときに、彼女は言いました。
『酷くない??最悪でしょ?この母親と子供、別々に暮らしているらしいよ。当然よね~』
(ワタクシも息子を生んでいなかったなら、この彼女と同じような事を言っていたに違いない)
ワタクシはこの母親を決して!非難できない。
いい子ぶっている訳ではなく本当に心底この母親を非難できない。
なんか怖い。
これって、この母親を責めることは簡単だけれども
このままでは彼女はどんどん追い詰められてしまう。
彼女は、もう既に十分に追い詰められていたのではないかと思う。
だから、
人目があるのにも関わらず感情を抑えられなかったのではないだろうか。
本当のところは1㍉も私には分からず、ただの妄想であるのだが
動画を観てそんなことを思ってしまいました。
また以前にも書いたことがあるのだが、
子育て中は、何となく世の中から責められているような感覚になるときがあります。
(今現在は感じなくなりました。)
世間の目を気にしなくてはいけなかったり、子供が大泣きすれば通報を恐れたり
いつも誰かに責められているような感覚。
ですので、
私は~~!!いつもーー!!自分をーー!!責めないようにー!!
せめて自分だけは~~!!自分を~~責めない!!
⇒”自分を責めない子育て”
ゴミを出して、ちゃんと帰ってきた自分は、
中々やるやん?・・自分、意外に母やん?と
ちーちゃく褒めてみたりしました。
そんなのは当たり前のことですけど??
・・とは、あくまでも他人の意見。
私は、誰が何と言おうとも自分を褒めたと思う。(誰にも何も言われていないですが)
そうして、二度とそうならないよう自分自身をコントロール出来るようにしよう♪
自分を責めてばかりいては何も変わらない。
そして癒されない。
まずは私達母親が癒されなければ。
それは、やはり自分で自分を責めないことだと思う。
⇒”3つの成長プロセス”
そういうときもあるよ♪
子供にもそういって慰めることってありますよね。
慰め

そういうときもあるよ♪大丈夫♪
この次、気をつけようね♪大丈夫、この次は出来るよ♪
考えてみれば、息子を置いてゴミ出しに出ることはもう大分していない。
もしも、あの時誰かに責められたりしたら
私は今こうして息子と一緒に居られたのかな。
子育てに正解がないのであれば、
もしかしたら不正解もないのかもしれない。
正解不正解で線引きするのではなく、人それぞれの考え方でいいような気もする。
細かいことは置いといて、
子供は、衣食住の環境を必要最低限整えておいてあげれば
勝手に自動的に育つのだそうです。
それさえちゃんとしておいてあげれば大丈夫なのだそうです。
子育てに疲れきってしまった時、放り投げたくなってしまったとき
とにかくそこだけ抑えておけばいいので
細かいことをその時だけは考えずに放置。そして、休む。
休んで元気になって癒されたらまた母親業に戻ればいい。(お互い)
母親歴たった4年の誰かさんが何言ってやがんだ!というお話でもありますが、
ある方へのメッセージのお返事も兼ねてこうして記事にした次第であります。
(大分遅れてしまいました。さーせん!)
(大分遅れてしまいました。さーせん!)
いつもありがとうございます。
ということで、今日もありがとうございました。
(息子が未だに登園拒否宣言する日があります。ですが、『今日のおやつは、なぁ~にぃ~?』と聞かれ、そのおやつが息子のお気に入りだと急に『ほぃくえん 行くー♪』になるのです。おやつがあるからこそ保育園に行く息子であります。最後までお読み頂き感謝であります。そして、いつも応援クリックをありがとうございます。)
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