2018年5月21日
おせっかいとは、やらなくていいのに、人のことに口を出したり、手を出したりすることです。危機介入もおせっかいに入ります。言わなくていい、たわごとです。人のことなんか放っとくのが正しいと思うのですが、言いたくなったので言います。他の人にとっては、迷惑この上ない話です。
境界線
境界線という言葉があります。斎藤学先生が使う言葉です。私が心打たれた概念。大切にしすぎて、“人のために何かをすることは、最低なこと”と未だに感じてしまいます。私の場合は過剰反応です。
境界線とは、自分と人との間にあります。自分と人とは違う存在と認識すること。「そんなの当たり前」と思ったあなた、甘いです。そんな生易しい概念ではありません。自分と人とは、別々の心をもった、別々の存在と認識すること。価値観も違う、正しさも違う、何もかも違っていて、そして自分以外の人を思うようになどできないと諦めることです。子どもにも配偶者にも、自分の正しさを押し付けることをできないと諦めること。だって、違う正しさをもっているのだから、押し付けようがない。
自分の正しさと子どもの正しさは、違うのです。これを理解するの、相当難しいんですね。“人は変えられない”と最近よく聞くようになってきましたが、どれだけの人が理解できているでしょうか。“人は変えられないんだよ”と人を説得しようとしてる人を見ると、絶句ですね。境界線を知っていると、人にアドバイスできないですし、人の問題を解決しようなんて、考えつかないです。その人には、その人のことを、自分で何とかする力があると信じているのですね。
親は子どもの魂を“しつけ”と称して、ズタズタにします。その結果、「自分に自信がない」とか「自分のやりたいことがわからない」とか「自分はこれでいいんだろうか」なんて悩む子どもに育っていきます。ありのままの自分に自信がもてない子どもです。
親をやっている人に「子どもを傷つけていますよ」なんて言ったら、どんな反応が返ってくるでしょう。『自分はこのままでいいに決まってる、そんなの当然』と思っている親は恐らく「傷つけていますが、何か」みたいな言葉が返ってくると思います。子どもを傷つけていいと思っているんですね。そんなことは普通のことって。全然まずいことでも、ひどいことでもない。やってはいけないことが、あまりないですから。子どもの魂を傷つけずに、子育てなんかできないしね。子どもを傷つける自分を肯定できるのですね。
自分は子どもの魂を傷つけて、そうして傷ついた子どもは、自分で何とかするんです。自分の心の傷と向き合って、自己肯定感を高めてもいいし、自信がないまま生きてもいい。『子どもの人生は、子どものもの』それに手も口も出さない。それが境界線の考え方です。
でも、たぶん 自己肯定感の高い親に育てられた子どもは、自己肯定感の高い子どもに育っていくと思います。自己肯定感の高い親をモデルとして学んでいきますから、他者からの評価に怯える必要はないってこととかも学ぶと思いますね。何をしても「それでいい」と思える親を見て育ち、子どもが何をしても褒めるし、認めるし「それでいいよ」って言う親に育てられる訳だから、「こんな自分ではダメなんじゃないか」と考えることを学ばないんじゃないかな。
何をしてもいい。子どもを傷つけて、魂をズタズタにしていい。あとは子ども自身の問題です。視点を変えて、その子どもがあなただとしたら、あなた自身の問題ということになります。
親に傷つけられていない子どもなんていないでしょう。親は子どもとは、違う心をもっているのだから、相違があって当然。わかってもらえなくて当たり前だしね。“わかってもらえない”は深い傷ですよ。
その状況で、自分がどうしたいかって話です。
読んでくれて、どうもありがと♡