僕の大好きな川崎選手の一説。

イチローに光をもらった瞬間の一人の少年の運命が動きかたが本当にドラマチックに描かれてる。




小学生から中学2年まで、おれは右バッターだった。

 右利きだったし、右で打つのが当たり前だと思ってたからね。小学生のときは、ランニングホームランも打ったし、ヒットもけっこう打ててたと思う。

 それが中学に入ったら、先輩たちより打球が遠くへ飛ばないことに気づいた。みんな体が大きいのに、おれは細くて、背もそんなに高くなかったから。中学1年のときは、バットが重くて、振れなかった。当たっても、ポヨヨンって、全然飛ばない。『4P田中くん』って野球マンガがあって、主人公の田中球児君も小っちゃかった。その田中君が小さい体をさらに低くして構える『コンパクト打法』っていうのがあってね。バットは地面と平行に寝かせて、短く持つ。グリップをピッチャーに向けて、へその前にボールが来たら、腰の回転でスイングする。あの頃のおれ、ほとんどそんな打ち方をしてたような気がする。バッティングに対して自信をなくしてたのかもしれない。

 もちろん、試合に出られないのはイヤじゃない。トンボでも、バット引きでも、自分の仕事があるからね。ただ、やっぱりレギュラーになりたかった。だから、コツコツ、コツコツ、練習するしかなかった。

おかしいじゃん、イチローってカタカナだし。

 そんなとき、あの人を見た。

 当時の友だちが、教えてくれた。

 どこにでもいるでしょ、情報屋みたいな友だちが……その彼がすごい、すごいって大騒ぎしてた。4割を打つかもしれないすごい選手がいるって。

 イチローっていうんだって。

 正直、誰だ、と思った。だって、知らないよ、鹿児島の田舎もんだから。おれは巨人戦しか見なかったし、ニュースの時間は寝てたから。だいたい、おかしいじゃん、イチローってカタカナだし。

 すぐにスポーツニュースを見た。イチロー選手が打って、走る姿を見て、こんなスマートな野球選手がいるのかって、ビックリした。強いプロ野球選手といえば清原和博選手とか松井秀喜選手とか、体が大きいと信じてた。それが、あんなに体が細いのに誰よりも強い。誰よりも飛ばすし、誰よりも速い。


 まさに、光だった。



あれだけ細くて、誰よりも活躍できている。おれは小さい体だからと、どこかであきらめてる。こんなんじゃ、ダメだって、勇気をもらった。

 今のおれにはそんなこと、絶対に言えないけど、何も知らない中学生だったおれは、イチローにできるんだからおれにもできるって、思った。見た目だけの判断だったのかもしれない。あんなに体の細いイチローにできる。体のでかいピッチャーを倒せる。ヒットや ホームランをいっぱい打てる。

 まるで、スーパーマンじゃないか。

 昼には普通のサラリーマンなのに、いきなり夜はとんでもなく強い。イチロー選手を見たとき、そう思った。こんな細い体で打てるわけがないのに、なぜ誰よりも打てているんだと、イチロー選手を見たとき、本当にそう思った。

 おれもスーパーマンになりたい。おれ、体ちっちゃいけど、イチローみたいになれるかもしれない。おれの脳みそがそう言ってた。清原みたいにはなれない。でも、イチローにはなれるかもしれない。おれの脳みそがそう決めたんだ。イチロー選手が打てるんだから、おれも打てるかもしれない。本気で思ったのはおれだけじゃないと思う。おれはそういういっぱいいた野球少年のうちの一人だった。

1996年4月16日、鹿児島の鴨池球場で見た「光」。

 イチロー選手のことが気になって、気になって、初めて自分のお小遣いで本を買った。それが『イチローのすべて』という本だった。夢中になって読んだ。中学2年生のときのことだった。

 そんなとき、鹿児島にイチロー選手が来た。

 あれは中学3年生のとき。

 1996年4月16日、鹿児島の鴨池球場。ロッテ対オリックスの試合があると聞いて、お母ちゃんにチケットを買ってもらって、友だちと3人で行った。

 まず、シートノックを見て、ぶったまげた。

 肩、強えなぁ。

 試合中、ライトライナーを滑り込みながら捕って、そのままビューンって投げたのも見た。試合が終わって、ファンに追い掛けられたのも見た。ファンがグラウンドに降りてって、イチロー選手のところへ行ったら、イチロー選手、ピューンって逃げた。それもビックリするほど速かった。

 ホームランも打った。

 おれはちょうど一塁側ベンチのすぐ上の席に座っていた。ヒット2本と、ホームラン。ヒットは伊良部秀輝投手、ホームランは成本年秀投手から打ったらしい。でもピッチャーが誰かなんて、関係なかった。イチロー選手は細い体をゴムみたいにしならせて、右中間へ特大のホームランを打ったんだ。

 イチロー選手はおれにとっての宇宙じゃなかった。



 もっと、もっと近くに見えた、光だった。