先日の結婚記念日で準備した薔薇の花束について、
私の中で繰り広げられていた天使と悪魔の声をご紹介いたします。
いや、天使でも悪魔でもないな。。
陰と陽?
裏と表?
心の声と思考の声??
ま、何でもよし。
「結婚の年数分の薔薇の花束」
のことを思いついた次の瞬間に、
「女子の私が欲しいな~!」
と思った。
一丁前に。。
普通、大抵、大概、みんなそう思、、、いますよね。。??
(↑あまり男だからとか女だからとか言うの好きじゃない私でさえ。。??)
「薔薇は、男の人が女の人に渡すのが、理想の形」
みたいな世間の方程式みたいなのが、ありません??
そうそう。
「パートナーに年数分の薔薇の花束をサプライズでもらったんだ~!!!」
なんて言えば、
ものすごい自慢にもなるよね
もらった瞬間だって、
「うーーーー!私って愛されてるな
」
、、てなるよね。
でもね。
気がついたのは、私よ。
そうしたいって思ったのは私。
一瞬、
「ねえねえ~
結婚年数分の薔薇の花束欲しいな~」
っておねだりもよぎったけど、
あたしには、できない。。
私は、色んな経緯があってそれを思いついたけど、
相手にとっては、
急にどうした???
ってことだし、
いや、
そもそも、欲しいのは私、
思いついたのも私、
いわゆる「世間体」を気にして、
無理して相手におねだりする方が、
気持ち的にツライ。。
そこで、
もしかすると、
世間体を気にしたり、
自分の為に自分で用意するとかって、なんか「かっこわる」とか、
いつか、相手が気がついてくれて、貰える日が来るかもしれない、とか
ちょっとづつ、相手にアピールして、貰えるように仕向けよう、とか
見栄を張っちゃったりして、
おねだりも出来ないで、
最終的に薔薇を買わなかったとすると、
結果的に、
こんなすばらしい風景とは出会えなかったんだなって。
「こんなことしたいな」
って思って、
その後、色んな思考が巡ってきたとしても、
変なプライドを持っているのって、
とってもちっぽけなことだなって。
ふとこれしたいと思ったことに、
世間の目を気にしたり、
他の人の意見を気にしたり、
いろんな見栄を張ったりして、
最終的にしていないこと、
たくさんあるんじゃないかなって。
誰かに迷惑をかけないのであれば、
そこは、自分の中の色んな思考の声を気にしている場合じゃない。
最終的に見たい景色は、
その思考に邪魔される前の
「思い立った」時に出来上がっている。
~ やりたいことはやってみよう (一言にすると簡単。。) ~
愛を込めて
ピーラー・ピロコ