私にとっての母親は、
自分の母親しか見本がいないから、


お母さんって、
うちのお母さんしか知らないから、


毎日、たっぷりのお夕飯を作って、
お裁縫も上手で、
おやつも手作りのものを作ってくれたり、
必ず帰ると、「お帰り」と迎えてくれたり、



まぁ、


めっちゃ厳しかったし、
めっちゃこわかったし、
おやつは、とっても少なかったし、
部屋ももっといつもキレイなうちがいいなぁ


とか、色々あったけど、


お料理は、とくに、
母親がやる最低限のことだと思ってました。


人のことを褒めるのが下手な父親も、
「おかぁの料理だけは、覚えとけよ」


みたいなことを言っていて。。


料理は、子どもに入れる一番大事なもの。


ということが、潜在意識で当たり前のこととなっていました。




なんだか、本当に仕事もしてて大変だった中、

頑張ってお夕飯は少しでも手作りのものを作ったり


裁縫も同じで、
持ち物の袋やカバンは、
みんな母さんの手作りだったから、
保育園で必要な持ち物は、
みんな手作りをした。



勿論、結果、
子どもは喜んでくれるし、
保育園で作ったバックを小3の今でも
「これは、ママが作ってくれたものだから」
と言って使ってくれるし、
(ホントに素直でイイこ。。笑い泣き)


保育園の卒園アルバムでは、
好きな食べ物という欄に、
「朝ごはん」
と書いてて、、笑い泣き


今だに、
味噌汁を飲めば、


「ホント、うまいわ、
ママの味噌汁が最高。」

 

とか言ってくれる。



ただ、
そんな風にムリして酷使して頑張ってる中、
時間もなくて、イライラしたり、
夕飯作ってても、仕事の電話が来たり、、
夕飯の時間もどんどん遅くなっていくし、



私、
時間、足りなくね…ゲロー



と気がついた。


毎晩、手作りしようとか、
ムチャだよね
滝汗





こんな私でも、
ついつい最近まで、いい母親でいなきゃと思って、

理想にしがみついてたよ。


母親偏差値が低い
と認められたのも、つい最近です。。




そして、


私、


今年の母の日に、
人生で初めて、
母親にお花を送る。



という行為をしました。


41歳でようやくチーン



私、
やっと、母親に降参できたのかもしれないなって。




いつまでも、お母さんになれていない感じ。
いつまでたっても、まだまだ全然届かない、
と思ってて、




そしたら、
手紙も入れたくなって、


「私は、
お母さんのように、
美味しい手作りの料理を子どもたちに作る母親になりたいと思ってました。

でも、私にはそれが出来ないってようやく分かりました。

お母さんのようにはなれないって分かりました。」



って。



なので、


ようやく、 今、
私の身の丈にあった、

子供たちのお母さんしてます。



リアルサザエさんだし、
いちいち、うるさいし大袈裟だし、
一人で慌ててるし、
ちゃんとしてないし、

プリント読まなくて、
子どもに迷惑かけて、
そのせいで子どもも私も先生に怒られちゃうけど、



ごめんね。



仕事ばっかりしてるけど、
日常生活にガンガン仕事が食い込んで来てるけど、
今日もお惣菜コーナーに向かうお母さんだけど、



これがあなたたちが選んだ母さんなんです笑い泣き



その代わり?
たくさん、
楽しいことしようね。



楽しいことは大好きよデレデレ

一緒に色んなことして遊ぼうねウインク!!

 

 


2人とも、生まれた時からたくさんの大人に囲まれて、
夜も一緒にリハーサルに連れ回して、
いろんな人に預けられて、
普通じゃないこと、
いっぱいつき合わされてるけど、


あなたたちのお父さんとお母さんは、
好きなことを仕事にして、
生きてるよ。




その背中だけは見せられるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、原宿に、美容院に付き合ってもらいました。

 

10年以上、カットは同じ方。

超スペシャリストの安心して全てをお任せの方。

 

勿論、子どもが生まれた後もずっと通っているから、

いつもいつでも子どもを連れまわして、

子どもと原宿とは思い出がたくさんドキドキラブドキドキ

 

 

子どもを生んだからって、

制限することは何もないよって思う。

 

 

 

小さな子連れだって、

行こうと思えば、

どこにだって行ける。

 

 

 

しようと思えば、なんだって出来る。

 

 

 

「いい母親でいなきゃ」

という世間体を外せばねウインク

 

 

 

 

愛を込めて

ピーラー・ピロコラブラブ