太陽を追うテロリスト | peedyのブログ

太陽を追うテロリスト

感情的になったほうが負け。
相手を言い負かそうと絶対に思わないこと。

前に営業の基礎として習ったことが、今になって私生活の対人関係で生きている。
学びに無駄なことなどないことを実感した。
私のなかはすこし空っぽになって、すこし大人になれた。


風邪をひいて熱を出すと、とても苦しいよね。
頭が割れるように痛んで、涙も出ない。
でも、本当に苦しい思いは熱が最高潮に上がる一晩だけ。
薬を飲んだり汗をかいたり、水枕をひいたりして目をつぶれたら、次の日からはどんどん楽になる一方だ。

それが実感としてわかってからは、悩み事があってとりとめもなく深くまで考えてしまうときは、何でもとりあえず「あと一晩」我慢してみることにした。
諦めて目をつむる。
夜が明ければ朝が来て、そこからはなにもないあたらしい朝のはじまりだ。

そうしているうちに時は過ぎ時期がきて、ちがう風がふいてくる。
今の気持ちもまた違う感情に生まれ変わることを知ってる。
悩ませる執着も、寝るたびに剥がれては遠い記憶となって思い起こされるのを待っている。

センチメンタリズムだけじゃだめよ
もっとムードのプライオリティを下げて

何人かの人に言われて、そうかなそうかあそうなんだろうなあ、なんて
ため息ついていたけれど、やっぱりそうでもないんじゃないかなあ。

吉本ばななさんの小説は、登場人物の近しい人(恋人、家族、、)が亡くなってしまう話がとても多い。
それは「死」という人生最期のテーマそのものを捉えて定義・表現しているわけではなくて、「誕生」より圧倒的にドラマ性をもつ「死」の、絶対的な感傷とセンチメンタリズムを、物語のムードをあげるために効果的につかっているように感じる。
読んでいるといつも切ない。
亡くなった人を思っては一緒に悲しくなる。
残された人の行動ひとつひとつを美しく思う。
熱の病からあがったような晴れやかな心に、「生きている」ということを実感する。

私がいちばん「生きている」、と実感できるのは、いつも「切ない」と感じているときだ。
涙を流しながら、心が張り裂けるような幸せの絶頂を感じている。


私はその気分を伝えていきたい。
伸び整えられた爪より、それこそが私自身だ。