ずっとやめてください。

とお願いし続けていた人生だったように思う。

蹴られても殴られても、

懇願し続けては、しばらくしたら、

少しおさまり、そしてまた始まる。

それが23年も続いてしまった。

そのうち、牢獄にいる人生だな。とどこかで割り切ってしまって、その景色にすら慣れてしまって、エンターテイメントを見ていても、

心から楽しむということはなく、

まぁ周りの人達が面白いならいいか、、、


そんな気分で生きてきたように思う。


吉川晃司さんの創作のひとつで、

お前に見せてやろう!食物連鎖の成れの果て。

という歌詞は、まぁ言ってみれば、

自分のことも、死んだ父のことも、

そんな感じだったなぁ。と思い出の一つだ。

私の命も父の命も、まぁ言ってみれば、

食物連鎖のゴミ程度の重みだったと今はちゃんと理解している。その程度なうちの家の命。

きちんと理解をした。

どのあたりがゴミレベルの命の家族に思えるんだろう、、、素朴な疑問は一生残るだろう。

ご自分達がお金持ちで有名になられたり、

自分達の方が優位な位置にあると、

うちの家族の命なんか、ゴミなんだなぁ。

そういう風に見えるんだろうなぁ。

具体的にはどのあたりがゴミレベルなんだろう、、、是非一度どこかでお話してもらえたら、

もっと理解出来るはずなのだが、、、、、


食物連鎖の成れの果て。というのは、

下の命がやられるやつだ。

まぁ私の家やそんな感じである、


そうか、力があったら、何をしてもいいということか、、、だからか、この世界のあちこちで起きている、揉め事や事件や戦争も。

なるほどなぁ。


ヤギレベルの命なら、やめてください。と何度叫ぼうが、血の一滴まで使わせてもらうぜ!

みたいなロックンロールな感じだとしたら、

さっさと人間なんか滅びればいいんだ、、、、


それでも私は謝り続けながら、

やめてください。を書き続けよう、、、、

本当に許してください。

何度でも謝ります。

私の命が何かをしたのであれば、

泣きながらでも謝罪致します。

申し訳ありませんでした。

許してください。


すみませんでした。と、、、、、


謝りながら、忘れない、

屈辱も、父の最期の姿も、

一生覚えていく。

ゴミレベルの命と判断された父の最期だ。

アホらしい、ゴミレベルと沢山の人からゴミゴミとされて、国の為に道路作るために、転々として、最後まで、ゴミレベルなんだよ!おまえんちは!とされて。

アホらしくて、泣けてくるけれど、

ま、それが、この国日本なんだろう、、、


せいぜい全国にある、

ゴミが作ってきた道路を今度は汚しながら、

使えばいいわ、、、


私は忘れないと思う。

身体が動かなくなった死ぬ寸前の父の枕元に、

地獄の音楽や死んじまっただぁと明るく響くあの深夜のラジオ番組を諦めたような垂れ流しだった父の姿を。振り返ると、父は色んなことを諦めながら、共に、受け入れてくれていた。

私は父の思いを感じながら生きてきたのだと思う。


それにしても、

懇願しても懇願してもやめてはもらえないものの正体について考える。


結局、金銭だろうな。と答えが出る。

楽して得る何かだったんだろう、、、、、

そして、食物連鎖の成れの果てだろう、、、

わたしたち家族はゴミレベルの命。

鳥は食べられるなら、米くらいか、、、、

麦。とか?

まぁいいか、、、、とりあえず草レベルとでも理解していこう。

岡田家の墓。は、草の墓である。

笑える。

息子にも言っておかないといけない。

あんたは人間じゃなくて、そこらの草。だからね。と、、、

どうやらそのレベルの重みしか、私たち家族には許されないらしい、、、、、

草。が偉そうに生きてて本当に申し訳ありません。そりゃ踏まれるわ、、、、、

焼かれるわ、、、、

だって人間じゃないわけだから。

そう考えると2度!というのは納得出来る。


そりゃ1人の人間が、生きたまま焼かれろ!だの、ただのゴミだの。投げてくるこの時代に、

大勢の人がそのような気質になったり、

戦争も終わるわけはないんだろう、、、


これだけ謝って、逃げ続ける人生でも、

許してはもらえなかった私のような人間もいる。


普通に考えても、あの大国だけの話じゃないわけで、はなっから、勝てるわけはないので、

謝って謝って謝りまくってきただけのことだ。

本当に申し訳ありませんでした。

ゴミレベルなのに、生きててすみません。

死ねばよかったですよね?

ごめんなさい、ちょっと事情が変わって、

昔のように、自殺未遂が出来ないんですよ。


色々と申し訳ありませんと。、


ウクライナも謝り倒せば、

プーチンは許さないのかな、、、、、


許すわけないか、、、

私へのしつこさも尋常じゃなかった。


生きたまま焼かれろ!をずっと続けたいんだろう、、、、



私の場合は、おまえんちは草なんだよ!

生きてるうちは焼かれて踏まれてろ!


はぁ納得である。

確かに、価値のない命の集まりだったんだろうと、、、我が家は、、、


ただまぁ絵的には面白かったと今は思う。

死にそうな老人の枕元で、

真っ暗な部屋で、あと何日生きられるか。みたいな年寄りの枕元から、

オラは死んじまっただあ〜天国いいとこ一度はおいで〜とガンガンラジオから流れてくる景色は、

コントみたいで、絵的には面白いし、

それこそ、業界好みだ。


まじ死にそうなじいさんの枕元に、

地獄の音楽と天国のあれあったじゃん!

死んじまっただぁー。ウケる。

ご臨終〜。と笑える景色だったろうと今は思える。


楽しかったでしょう?と言ってあげたい。

うちの父、3年前に死にました。

よいBGMをありがとうねー!


というか、好きだよねぇ。

死ぬも生きるも苦しむも、

平たくキャッチする、その感じ、


もっと苦しめ!が、

本当にお好きな世界ね。

死にそうな老人には恐怖を!

少しの光を握ろうとする人間には絶望を!

それが、あなた達の世界のスローガンかなにかでしたか、、、うすうすわかってましたけど、

さすが、創作の現場は一味も二味も違いますね。


暗闇がないなら、作ってみせよう、

織田信長!みたいな、、、、、


天国ってどんなところなんだろう、と不安に眠る年寄りの枕元には、

地獄のBGMだろ!なにやってんだ!お前は!


そんなところだったんでしょうね。

よーくわかりました。



2度。あったことで、私は一生書いていこうと決めた。もうやめて欲しいことだらけだ。


音楽業界に少しでもいたせいで、

思い入れは人と角度が違う。

レコード盤のような美しい表舞台の人達は、

私にとっては、ひとではない。

それでも、そのトップの流れが、

ほら!ゲームなんだからさ!となれば、

彼ら彼女らは、そこ道に従って、

やっていくしかないわけで、そこに心なんて、

あってもなくてもどうでもいい仕事としてこなしていくだけのこと。


私は最初からそれが見えていた。


どうせ道を用意されたのなら、

まぁそのノリに従って、演じる。

それが本意ではないにしてもだ。

当たり前に仕事をしている。

あたかもそれを美しいものと飾り立てることは、

もう特性のひとつなんだと思う。


ここまで頑張り続けた人生で、

まだこれをやらされるのか?と呆れた。


音楽という音楽を信用出来る作り手の音楽で、

塗り潰そうと考えた。

それが佐野元春さん1人だった。

あとは一切聴かない。宮沢さんやみゆきさんは、

そのことも見えてはいても、システムにのる方々だと私は感じていた時間の全て。

当たり前だ。なるべく利益は出た方がいい。

それが人だと思う。

けれど、良い作品を生む。そのことが私を安心させてくれた。


沢山のミュージシャンが自殺したり、

病んでいく光景も、芸能事務所のスキャンダルも、胸がどういうわけだか痛んだし、

もう全てやめて欲しい。ずっと祈り続けている。


私はそんなに悪いことをしたんだろうか、、、

したんだろうな、、、

もしくは、目障りで生きてること自体が、

罪ではあったんだろう、多分。


何度お願いしても、懇願しても、

やめてはもらえなかった。


何度も謝った。

私が悪いことをしたなら、

本当に申し訳ありません。と、

家でも祈るように土下座をした。

身体も傷つけた。

自分への仕置きである。

よほど、悪いことをしたんだろう、、、

それなら、自分の身体を痛めつけて、

血まみれにでもなれば、多少の懺悔は出来る。


許してはもらえない人生なら、

抱えていくだけだ。


謝りながら、

一切を切る。


けれど、許して欲しいこと。

それは音楽の最高峰を握って生きていくことだけ。宮沢さんは最高峰ではない。

まぁ才能が信じられる人。

みゆきさんも。


あとは本当にもういい。

許して欲しい、、よほどの失礼が私のやり方にあったんだろう、、、、、

ここまでのことをお前はしたんだから、

それは全て曝け出してやる。

そうなったんだろうと思う。


だから、生きたまま焼かれろ!となったんだろうとも思う。


私は2度と、あの世界の色々を触らない。

だから触られたくはないけれど、

よほどの罪人であるなら、

もう受け止めていくしかないんだろう。

なんの罪なんだろう、、、、、


そう感じている。


ただ謝り続ける。

心の奥底では、謝罪しまくって生きている。

申し訳ありませんでした。と、、、、


日本の3人のレコード盤さん達は、

いわば、私の幸せだった時代への忘却だと思う。


あーあの頃は幸せだったなぁ。

を思い出せる、佐野元春さん。

宮沢さんも聴いていなかったぶん、

あの頃は幸せだったなぁ。と思えるアーティスト。みゆきさんもだ。


それくらいは許してもらえないだろうか。


昨日は、企業のトップの力を想像や、

ある話だよなぁ。と考えたことで、


流れていった価値観や、

道が、当然かのように続いてきた色々を

想像しては、うんざりした。

ま、気がつくわけもないか、、、、、

そして、そこにのっかってるほうが、

うんと楽なのが、日本人の特徴だ。

これは否めない。


32歳の時には、女としてもよく泣いていたし、子供も小さいから泣いていたし、

『ほら!ゲームですよ!みなさん!』とされても、そこそこ、材料になれたとも思う。

いやらしいことも投げられてもきたし、

子供もいじめられたりもした。

2度目はさすがに心理的にやられる道具、ゲームの駒にしかなってあげられず、

それでも暫くはお楽しみいただけたようだ。


けれど、私は今回ばかりは、

全力で否定と拒絶をしたい強い思いがある。


あの一度目も、一部のなんにも考えない暇人のような人達のお楽しみ。にはなれたけれど、

痛みが馬鹿みたいにあったんだ、間違いなく。

この時代の中で戦争はあるわ、人殺しは増えるわ、そんな中で、あの時のようなゲームを続けるわけにはどうしてもいかなかった。


この国の業界も地上も、本当にバカげてると思う。タレントは仕方ない。

そもそも世間知らずが、当たり前の人達。

そして、退屈を潰すことくらいしかとりあえずの不満もない人は地上にもいくらでもいる。

世間知らず同士のWin-Winに関わりたくないんだ、私は。

どっかよそでやって欲しい。


うまくマッチしたそのWin-Win。

タレントとそのような人達が、

流れていくこと。が続いてきただけの話。


今、それをさせるわけにはどうしてもいかなかった。どうしても嫌だったんだ。

少なくとも、自分は関わりたくない。

YOKOのような崇高な思想と歩いていきたい。


何故、やめさせなかった?

判断が甘すぎる。

コンプライアンス自体がもうおかしい。


トップの人の良識が問われる時代がきているとつくづく思う。

自由な放任主義は結構だけれども、

社会悪に繋がる可能性、リスクを考えないあたりは、私から見たら、ずさんでしかなかった。


だから書き続ける。

もう2度とさせない為に私は書き続ける。

佐野元春さんしか信じない。

ポケットのお2人の作り手は尊敬をしているレコード盤だ。


せめて芸術を勉強したくなっただけの話だ。

私の場合は。


それだけ、私がよほどの悪いことを本当にしてしまったんだろう、、、、、

何度、人生の中で謝罪すれば許してもらえるんだろうか、、、、

死ねばいいんだろうか。

もう少しは生きないと家族に申し訳ないので、

そこだけ、許してもらいたい。


有り余る暇を遊べた人達、

世間知らずなタレント達。

みなさんの望みを2度ほど貢献したけれど、

どうだろう?楽しんでいただけただろうか。

望みは叶いましたか?

多分、まぁまぁ叶ったはずだ。

よかったです。


もう終わりにしてください。

お願いします。


甘んじて、不愉快な思いは罰として受け、

生きていくのみなのだけれど、、、、

自分の人生に幸福テイストをもう求めていないので、あとは罰を受け入れていくのみだと思ってもいる。


罪人だからとて、発言の自由くらい許されてもいいだろう、、、、、、