今日は泣いた。
何故に広島に移住してからというもの、
こんなに沢山の嫌なことが襲いかかってくるのかと車の中で愚痴を言い沢山泣く。
汚い方言もちゃんと覚えた。
わりゃあ何いいよるんな!ぶちかましたるけぇの!みたいな、、、、、
でも、やっぱり無理に決まってる。
付け焼き刃で覚えても、身にはついていない。
行動が粗雑、、、灰皿なんかもバンバン音を立てる。そんなことにも慣れたけれど、
あー私がこの街のしきたりに染まりきらないのが、気に入らない人もいたのかもな。
そんな気にもなる。
あちこち転勤しないといけないから、
標準語で生きないと仕方なかったんです。
本当に申し訳ありません。
平和と部落差別を特別授業として教えられるこの街は、むしろ、そんなことは本当は心に染み入ることもなく、はいわかりました。としてきたが故の、反発心があったんだろう、、、
ホンマは平和なんかわからんし、
差別もわからんけど、一応わかったようにしとけばええんじゃろう、、のような、、
だからこそ、いじめも嫌がらせも差別も、
逆に大きく反発してきた。私はそれを見てきた。
別府も富山も熊本も鹿児島も、
そんな授業はないので、むしろ平和で穏やかだ。
よほど広島という土地で私の存在が、
死んで欲しいほどの価値だったんだなと、
今なお、思う。
謝りながら生きていこうと決める。
本当に生きていて申し訳ありません。
ごめんなさい。
許してください。
やり返したところで、乱暴な言葉や例えば放火だとか窓切られるだとか、そういう人達に敵うわけもない。やりあげたれや!
とこうなる。
吉川晃司の歌にもあるように、
おまえは追い詰めてこそ光る。と、人が身体キリキリ壊しそうでも容赦ないのが、
広島の人の特徴なんだな。と理解してしまった。
申し訳ありません。
祭りはあなたがた広島の人でどうぞ。
先生が広島なら生徒も広島。そんな感じで。
ひたすら謝り続けることにした。
申し訳ありませんでした。
私は別府の人間なので、許してくださいと、、、
芸術の小森。は佐野元春さんメイン!
宮沢さんもいる。
ふと、ポップスの人達って、カラフルでほら!
あんたなんかよりあっちの子の方がうんと明るくて勝ってるぞ!とか言いそうだなぁ。
などと考える。
大丈夫。私、すでに白旗あげてるからこそ、
もう2度と聴かないものを選んだんです。
と心で呟く、、、、
ドリカムとかミスチルは一生もう聴かない。
あ、、、私は中島みゆきさんのファンを小学3年からしていたんだった。
彼女は紫綬褒章をもらったほどの芸術家だ。
中島みゆきさんなら芸術の小森に入ってもらっていいやつだわ、、、そんな風にうっすら思う。
ポップスの方々は明るくて楽しい毎日を過ごせるかわいらしい奥さんがたによく似合う。
とてもとても私ごときの苦労人が、
入ったところで、浮いてしまうのが関の山だ。
毎日さぁ旦那がさぁ、こんなこと言ってくるけどさぁ。給料ちょっとだけしか上がってないのに、ホント困っちゃう!悔しいから高めのスィーツかって夜中食べてやったんよぉ。
みたいな人達が似合う。
私が死んでも経験出来ないやつだ。
僻みもなにも、どうにもこうにも、
その手のポップスの連中のコンサートへ行くと、
浮いてしまう自分を感じていた。
これか、、、そんな感じだ、、、、、
コンサートを見に行っても、帰り道は、
お幸せ奥さん同士が『あれはこないだの東京のぶんとちょっと変えてたねぇ、あースイーツあそこの美味しいから食べて帰ろうやぁ』と、
幸せ満々余裕な人達が多いのがポップスさん達。
人生の勝者だ。
いつも私は浮いていたと思う。
ところが佐野元春さんや中島みゆきさん宮沢さんなんかのコンサートだと、
ありありと幸せ全開な方々だけではなく、
うっすら泣いてる人もいたりして、同類じゃないことがあるものだから落ち着く。
自分もそうだからだ。
宮沢さんのこの前のコンサートは1人ビール片手な哀愁のサラリーマン、、、
似てるな、、なんて思っていた。
佐野元春さんもどこか人生頑張ってきました。
な方々がまぁまぁ多い。
私はそちらじゃないともう無理だ、、、、、
中島みゆきさんはご存知の通り、
暗い歌、根性の歌が多い。
苦渋をなめながら、それでも他者に祈りを歌う。
苦労したけど、あなたの幸せ祈りましょう。な音楽が多い。コンサートへ行っても、
苦労してきましたな世代が本当に多いから、
浮かない。
佐野元春さんにしてもそう。
宮沢さんにしてもそう。
浮かないし、居場所ないなぁ。って、
気分にならない。
中島みゆきさんは心の親だ。
はぁ、、、みいさんに芸術の小森にいてもらいましょ、、そんな気分で一日を終える。
どうしてこうも、やられ続ける人生なんだろう。
東北や能登の人達は、
自然災害で苦しみ、
かたや広島の片隅の私は人災で苦しみ、
その余波が消えることを、一生懸命願っている。
謝り続けて、あなた達の方がうんと素晴らしくて、ポップスみたいですよ。
そう言い続けようと決める。
凄いですね、幸せそうだし、なにより明るい。
ポップス組みたいでいいと思いますよ。
そう謝っていこう、、、
私はニューミュージック世代なので、
なんだかんだで佐野元春、中島みゆき、何故だかミヤ。がやっぱり落ち着く、、、
暗いと言われようが、
古いと言われようが、
マニアックと言われようが、
ポップスのような煌びやかはもういらない。
出てくならおまえの身内も住めんよぉにしちゃるって言われてさぁ、中島みゆきさんの歌の歌詞だ。そんな感じのことを沢山感じた。
うっかり燃やしたことにして、
やっぱり燃やせんかったこの切符、
あんたに送るけん、持っとってよ、
滲んだ文字東京行き。
音楽好きの切符は、
私の周りにも沢山いる、幸せですよーな奥さん達に託そうと思う。
ご家族みなさんで幸せになられてください。
ポップスとはあなた達のような人の為にあるんです。幸せ満々な人達にポップス達は手招きしている。私ではないです。
私は芸術の小森。
佐野元春、宮沢和史、中島みゆきしか!
聴かない、そんな頑固な人生を進んでいこう。
よくわかんない、
自分の脳みそだけれど、
目一杯、整理しないと生きていけない、、、
毎日、何か一つ家へ嫌がらせされ続けた人間だ。
5歳の男の子が泣きながら、母親の背中に、
死んじゃダメーかあさん!死んじゃダメー!
と泣きながら追いかけさせた経験のある女だ。
そしたら広島の吉川晃司さんに、
身の上話に涙ねーアハハーンって歌われて、
その次の日には5歳の息子の遊具を捨てられてた女だ。田んぼにうちの子のボール投げられてる。
広島の人達には、
私がこの街では最下位な命です。
本当に申し訳ありませんでした。
お祭りは、ロック、ポップス、かわいい幸せ奥様達だけでどうぞ。
私は苦労人、中島みゆき、宮沢和史、
そして永遠の天才、佐野元春芸術家達と、
生きていきます。というか聴いていきます。
本当に申し訳ありませんでした。
そんな気分なんだ、、、
絵画もちゃんと勉強しないとな、、、
まだ目が本調子じゃないから、
今日も早く眠らないと、、、、
治ったら、ちゃんと芸術のことを勉強するの。
絶対に!
小さい小さい芸術の小森。を作っていくことだけ。私の生きていく上での目標。
だから歩いていける。
謝りたおしながら、、、
広島という土地では私が一番ダメな命です。
大変申し訳ありませんでした。
ごめんなさい。