世の中には、モネとジョルジュブラックが、

必要だ。なんて勝手に思い始めて、

もう随分経つ。


日本人は佐野元春さんと宮沢さんしか聴いていない私は、そのどちらか一方だと、どうもモゾモゾする。おしっこしたいのに我慢してる感じになってしまう。


宮沢さんの音楽はモネみたいに穏やかなものがとても多い。割とどころか相当な平和主義。

みんなでさ、みんなで、よかったら、

みんなで、、ってやりながら、

たまに裏切り者に傷つくタイプの人だな。

なんて、思って聴いていた。

あら、ケガしてますよ?大丈夫?みたいな、、


けれどモネだなぁ。と思う。

とても風景が美しい。


けれど、私はそんなに平和主義ではない。

普段はとぼけているけれど、その人の裏の顔をどこかで睨みつけているような所が大人になってからは増えたし、これでいいと思っている。

平和を目指すためにいつも考えて戦ってきた感じ。こう動けば平和なのか?

なんて動いてみて、ワインのつまみが、

『人間の矛盾や感情たちの正体』だったりする。

あそこで私がこう動いたら、嫉妬とか憎悪になるわけか、、それはなぜだ?なんて、

きれいにまとめといて、悶々と考えてしまうのだ。面倒くさい、良い人だ。


佐野元春さんは絶対、ジョルジュブラックだ!

この世情にはびこる感情の粒子を、

モザイクアートやスタンドグラスに出来る。


佐野元春さん聴いてると、

なるほど、、、だよなぁ、、、と腑に落ちる。


この世界は感情がモザイクアートみたい。

ひっついたり離れたりしながら、

回転していく。


そんな気がして仕方ない。


これって、YOKOの芸術にも言えていて、


結局、素晴らしいアーティストって、

こんなもののキャッチがうまいんだろうなぁ。


そして感情って、

とてもとても、同じものなんて、

きっとないんだよ、、、とも思う。


私の悲しみとあの人の悲しみは違うんだ、、、

きっとそう。

隣りの山本さんの悲しみを測ったところで、

大きなお世話だよ。くらいに痛い深さがあったりする、そんなもんだろう。


私は今日はどんなことを考えるんだろう、、


それだって同じものはない。


ジョルジュブラックにハワイは似合わない、

ニューヨークが似合う。

モネにイスラエルは似合わない。

イギリスが似合う。

この世界は無理やりが多すぎる。

戦争で、どこかの国を壊して自国にしようと、

それは隣近所でも同じ。


本当に愛する者へは、

生きる場所を守ってやればいいだけのことなのに。


佐野元春さんの歌に、憂いに満ちた世界をとことん煽ってけ。の時代は終わるべきで、

例えば私が憂いなら、1人で傷も痛みも負うから一切の余波を残すな!と言いたい。

絶対に残すな。と、、、


1人で全ての傷は負う。

そのうち治る。それならほっときゃいい。

女をいじめてハイ終了でいいのだ。

こんな時代にそんなことをしている連中がまずおかしい。そしてそんなものをズルズル引っ張る連中がおかしい。


例えばそこらの子供が痛む音は、

キーウに響く音と同音だ。

単音で絶対に終わらせないと、世界は平和からどんどん離れていく。


そんなこともわからないのか?な人間達が多すぎる。音は命の音、痛む音質は同じ。


単音で終わらないと絶対にいけないもの。

だからとて、何も言えない人間をやり続けることなんて絶対に許せない。

おまえは絶対バチが当たるぞ、、と、

どういうことであれ、私は本気で思っている。

実際、ほーらコロナだぞーおれはコロナだぞーなんて女に絡まってたオヤジは死んでいた。


そんなもんなんだろうな、、なんて、

ぼんやり思う。


新たなベクトルは佐野さんだの宮沢さんのような賢い人間が訴求していることのみ!になればいいのに。と願って止まない時代、、、、、

ま、勿論、それ以外でも素晴らしい概念はあるのだが、、、、、


狂った世の中だ。


今日も頑張らないとだ。