パンドラの箱。


そんなイメージがずっと頭にこびりついている。

血糊のように。


内容はこんなものだ。


『開けてはいけない』という言いつけよりも好奇心が勝ったパンドラは、その箱を開けてしまう。すると箱の中からは、考えうるすべての災い(犯罪・病気・不幸など)が飛び出し、以後人間はこれらの災いとともに生きていくこととなる。


そして、パンドラが慌てて箱を閉めたところ、箱の中には『希望』だけが取り残された、というのが、ギリシャ神話で語られたエピソード。


閉めなくちゃいけないんだ!

絶対に!

この時代の全てのパンドラは確実に閉めないといけない。


私は過去にその当時の友人達が、

やたらと噂好きで情報好きで、

芸能人のあれこれを面白おかしく植え付けられた。


よくよく考えてみれば、

その人達の『嘘』を私はどこかで信じてしまっていたんだろう。


今日、あるネットニュースで、

芸能人の人が『僕だって人間です、傷つきます』

なんて書いていた。

息子と同世代で心が痛む。


私に植え付けられた色々は、

あの人はただの男よ。だの、

なんだかいつも女抱いて凄い酷いんだって。

だとか、とにかく耳に入ってくる。

そんなこんなしていたら、

それに模倣しているようなゴシップが、

最近やたらと流れてくる。


『これはパンドラだな』何かが開いてるんだ。

自分としてはそう感じてしまう。


ある人なんて犯罪者扱いである。

申し訳なかったな、、、と、

いつも思う。


確かに、自分も業界では働いていたから、

全て完璧ではなく、

そりゃ個性はすごい人もいる。

でも、なんだかそれだけでもないだろう、、と、

いつも感じてしまう。


何もかものパンドラは閉めるべきだ。

絶対に。


犯罪者扱いされて私の耳に入ってきた人も、

女ったらしでとんでもない情報として、

私の耳に入ってきた人も、

ちゃんとテレビだなんだで活躍している。


はぁ、、芸術が汚れたなぁ。

なんて残念な気持ちにもなる。


事の真相なんて誰にもわからないんだ。

絶対に。


そんなこんなで、

すっかり日本の芸能界は嫌いにもなる。

噂が襲ってくるのがもう嫌なんだ。


というか、

あまり心に入れたくないから、


佐野元春さんと宮沢和史さんしか、

一切聴いたりコンサートへ行ったりする気持ちしか残らなくなってしまった。

あとはもういい。もう何も知りたくない。

知る必要がない。


小さな小さな芸術の森。


この日本人のあ2人と沢山の本物の芸術たち。

言葉や絵画たち。

それだけで良い。

今日はフジコヘミングさんの番組を見た。

彼女も本物の芸術家だ。


パンドラの箱。が、

誰もかれもがベタベタと触れる時代になってしまった。ネットなんかでもそうだ。


とにかく閉めないと取り返しのつかないことになってしまう。

誰かの都合。の為に、

開けっぱなしなんて、許されていいわけがない。


世界はそのことに気がつくだろうか。


真っ直ぐな瞳の誰かが、

『それはおかしいですよね』なんて、

へっちゃらだった人達にしらっと言ってくれて、

目からウロコがパラパラと落ちてくれる日を、

私はずっと夢みてる。


そのために、


佐野元春さんや宮沢さんのような、

真を歌えるシンガーだけが、

きっと必要なんだろう。


他には何もいらない。

いらないものはいらない。

勿論、今より知り合いも増やしたくないから、

そこらへんの人なんてもっといらない。


いらないものだらけなんだ、

さっさと自分の周りにある全てのパンドラを閉めて、希望の新芽だけをそっと育てるだけでいい。


ネットにはYOKOもいる。

ネットには好きなシンガー2人もいる。

ネットには画家たちの人生がある。


その人達や画家に心寄せる人達が、

きっと同じ星を見上げていく同士のようなものなんだろう、、、


空に飛んでいる人達は常夜灯だ。

彼らがそんな灯りになる。

そのことだけで、充分だろう、、、、

世界なんて。

宮沢さんを常夜灯にしている人達は沖縄や自然環境について考えていく人達も増えるだろう。

佐野さんを常夜灯にしている人達は人間の矛盾を考えそしてその矛盾を抱えない人間を目指すだろう。画家達の人生を常夜灯にしていく人間達は、

芸術に潜む人間の艶かしい全てに慈悲を感じる人間になっていくだろう。

YOKOを常夜灯にしている人達は、平和と心について常に考えていくんだろう。



私の常夜灯はそれだけでも、もう充分だ。



時代のパンドラの箱。


どうか早く閉まりますように。