たまに『荒む』

みんないつもポーカーフェイスで、かっこいいなら尊敬しちゃう。

なんというのか、私の脳はこの写真のイメージだ。道の先には『芸術の小森』がある。

そこには佐野元春さん、宮沢さんがいて、

絵画達があって、オノヨーコがいて、

アメリカンミュージック達がいて、

岡本太郎さんも最近加わった。

それだけの『芸術の小森』小さいやつ。

たまに彼らは大きな世界へ出かけている。

たまに彼らは海の向こうに行ったりする。


けれど私がこの一本道で毎日毎日行くのは、

小さい『芸術の小森』


たまに側道の木々達は言う。(比喩である)

芸術?そんなことよりワイドショーだろ。

音楽?警察24時の方が面白いじゃん。


私は側道の木々達とは無関係に真っ直ぐ走っているだけだ。


今日は日本の2つだけ聴いている宮沢さんのネット配信を観て、変わらず素晴らしいと感嘆する。

こんなことじゃ、ミヤに怒られちまうな、、、

ミヤは人の悪口嫌いだしな、、、

ミヤは芸能界の揉め事を長引かせるのも大嫌いだしな、だからずっと走りっぱなんだしな。

あーミヤに怒られる、怒られる、

もはや怖くもないけど、怒られちまう、、、


というわけで、太ももの青あざを誇りに、

(自分でやる根性焼きみたいなものなの)

やっぱり側道の木々達が、いつか似たようなこと、そうではなくても、ポジティブな方向へ軸が傾いてくれるように、真っ直ぐ走るのみだ。


音楽。というのは、今日の美術館でもどれもこれも素晴らしい絵画に似てる。けれど自分好みかどうかはまた別の話だ。今日の美術館は何点かしか好みのものがなかった。全て素晴らしいし上手。

例えて言うなら、竹野内豊も沢山いて素晴らしいなぁ。と思うけれど、心が惹かれない。 

けれど、波が酷い打ちつけ方で波の内側が真っ黒に描かれていて空もパープル、絵の具の画材跡がなんだか生々しい。そんな絵が私は好みで、

みんなと足を止める所が違う。

そんな感じ。


今日、宮沢氏のショーの映像を見ていて思った。

この人の音楽は輪郭が生々しくて、

几帳面に書いた線のようなものがない。

そんな感じ。なんというのかいやらしいのだ。

私はいやらしいものが大好きで困っている。

ガガもマドンナもいやらしい。

YOKOもいやらしい。佐野さんはセクシーだ。


そういう小森を作っていく。

そんな気持ちで宮沢さんのショーを見ていた。


よくわからないけど、

私は芸術の小森へ毎日向かう道を、

ひたすら走るだけの毎日だから、

側道の木々達が勝手に絵なり歌なり歌いたかったらどうぞ。そんな気持ちになってしまった。

聴かないけどね。見ないけどね。

あっちも呼んではいない。


私はアーティストが大好きだ。

怒られるかもしれないけれど、

自分の命も大切だけど、彼らの心がホントは好きだと思う。はぁそっち行きましたか、、な時も、

なんという!!!な時も、

ドクドクした血液のようでいい。

凍りつくような、自分自体は心がボツンとなる時も、彼らの血液が好きだと思う。

けれど、人を責め立てる言葉や何かを追い詰める言葉はやっぱり好みではない。

自分は聞かないけど、それをみんなに歌いたいなら、やればいい。仕方ない。

でも2チャンと一緒よ、それじゃあなた達。

みたいなものも沢山あって情け無かった、、、

私の好きな音楽はどこへ、、、みたいな、、、

でももうどうでもいいや。


私が大切なのはミヤちゃんや佐野さんだから、

もう好きにすればいいんだ、、、

それしか聴かないし。


芸術。を愛していると、沢山のことが見えてくる。人間は文化だ。

誰だって文化。

そのことを私たちは忘れ過ぎている。


例えば宮沢氏。彼だって沢山のことがあったはず。ファンは皆、そんな時間全てを愛してきた人達。彼を責めるものは私も許すつもりはない。

それくらい、この国で芸術家として相応しいと自分が思っている人を責めるなら許せないし、許さない。


私自体は、自分の理想は1人できちんと抱えてシンプルに歩いていくけれど、

社会のよくある概念は、誰でもそうであるように、時として、そんな理想すら許してくれないだろう、、、それでも自分の理想と歩いていきたい。


楽園。にたまに遊びにいけたらそれでいい。

そんな感じだ、、、、、

だから側道の木々達は、

生えてるだけにしてほしい。ホントは。


そこから見えるものだけなら、

走ってる車はどうとも感じない。

要するに木々に追っかけられると怖いんだ、、

こっちは触りに行ってないのに。

触りに行きたくないのに。


私は佐野元春さんと宮沢さんが音楽業界にいてくれたらそれでいいのだから。  


最近は沢山なるべく本を読んでいるけれど、

はぁ、私の脳みそは変わらず軽いなぁ。

なんて呆れている。


けれど、きっとまだまだ、

白地図はあるはず。

余白はあるはず。

だから芸術や理想を書いていけるはず。


そんな風に感じている。


宮沢氏のファンはそうは言っても、長いので、

これは怒られそうなやつよ、、、と、

いつも思う。若い時は嫌われたら嫌だから黙っていよう。なんて可愛いい自分を思い出す。


なにしろそれから25年ほど経過していると、

まぁ嫌われたところで命は落とさん。となってしまって可愛くない。

ミヤちゃんが私のこと知らなくて本当によかった。嘘もつけやしない。


それぞれが、なるべくクオリティオブライフへ。と願う私は、自分もそうだけれど、

悪しき呼気はよしとはしたくないのである。

世界や大きなものなら良くても、個人。はちょっと本当に嫌になる。

個人。は誰でも文化だ。


腹が立ったら、コソコソやってて欲しい。



悪しき呼気になりそうなら深刻にせず、

センスのよいジョークがなくちゃ、

この世界のリズム達はあまりにも悲しい。


明日はきっとポジティブに。


理想は走ってるつもりが足を引っ張られ、

それは時に自分自身の影でもあり、

ややこしいけれど、

それが人間なのだから仕方ない、、、


乗り越えていくしかないから、

やっぱり頑張るのみ!


やれるかなぁ、頑張らなくちゃ!