今日は『この長い時間のストーカー』について、

ずっと考えていた。

嘘や憎しみに溢れて。って歌がクルクル頭をまわって、『何かなければ、そんなに長い時間嫌なこと放り込まれないよなぁ。そして自分は一体何をしてしまったんだろう、、、』と、ずっと考えていたけれど、

どうしてもわからないままに一日が終わる。


とにかく離れることだ。

人から離れる。

それは近隣であれ、業界のあれこれであれ、

出来るだけ、本当に大切にしたいもの。だけを抱えてやっていく。

他は一切関わらせないし、関わらない。

お見守りと称した監視も沢山だと思う。


沖縄の人頭税じゃないけれど、

穢多・非人みたいな奴なんだろうなぁ。と、

ぼんやり考えていた。

言ってみれば、誰もかれもよりも、

下位に置かれた命ということだ。

賤民階級らしい。

祖父も満州鉄道のお偉いさんだったし、

亡くなった父も国家公務員の中じゃ上役だったというのに、先祖代々の中、私が、

穢多・非人の賤民階級に我が家の先祖代々の流れを奴隷ほどの価値に落としてしまって、

なんだかとても申し訳ない気持ちになる。

何をされても何を叫んでも、みなさんの思うままに転がされていい命に成り下がってしまった。


祖父にも父にも心の中でいつも謝っているのかもしれない。ごめんなさい、ごめんなさいと。


けれど、結局、人頭税もそうだけれど、

『やられる側』の命というのは、

どんな人でも賤民階級に蹴り落とされる時代なんだろう、、、暴力的で感情の世界がこれからも続くのだとしたら、なんだか酷い世の中なんだな。


日本人で2人聴いていこうと思った、

佐野元春さんは『人はあまりに残酷だ』と歌う、

宮沢さんについては『人間の命に優劣などない』

と歌う。なんかありがたかった。

例えば状況として、穢多・非人な自分だとしても、ちょっとほっとした。


2人だけは『こじんまりした芸術の森』に住んでもらおうとそう思えたのは有難い。


私だけじゃない、

やられる命というのは、

世界の戦争の中でも、介護施設や保育園で無下に扱われる命も、下位に置かれた命であることに変わりがないんだろう。


いつからみなさんそんなに偉くなられたのか、

ちょっと聞いてみたくもなるけれど、

きっととてもご立派だから出来るんだろうな。


私は全てと今は寄せ付けない努力をしている。

誰であれ、2度とごめんだと本気で感じる。


毎日毎日、工藤静香さんが、Yahooニュースの下の方に出てきて、コメントもどうも読んでしまう。彼女は嫌いじゃないし、けれど、

ふと考えたりする。

『私は彼女のようにブランド着て毎日毎日自分を見てとはしていなかったし、そんなこと一度もしたことないのに、なんでストーカーだけはしつこく長い時間いじめにくるんだろう』と、、、


やっぱり穢多・非人みたいなところか、、、

そんなことを考えていても、

まぁ仕方ないので、せめて芸術のこじんまりした森。を考えていこう。そんな感じだ。


オノヨーコさんが言葉をくれた。

海外が優しかったように感じた。

そのことが、やっぱり世界って凄いな、、、

そんな風に素直に感じてしまって、

セレブリティと呼ばれる方々がアフリカの飢餓の国の子供達に本当に心を配っていることや、

差別、さまざまな問題にとても心を配ってきたこととピッタリ一致するその寛容さに心打たれる。


人に絶望しても人で救われるって本当だな。

本気でそう思った。

アメリカンではあっても、感謝しかない。


私は勿論1人で死ぬ。絶対に他人には頼る人生は送らない。けれど、奴隷のように看守がいて利用されるそんな穢多・非人であり続けるわけには本当にいかない。だから頑張ってサイズダウンしてるんだ、、、見るもの聴くもの。これ以上捨ててしまいたくない。お願いだからやめてほしい。


そんな気持ちばかり。


いつかこの国の人に通じる日はくるんだろうか。


純粋に佐野元春さんの音楽や活動にときめきたい。純粋に宮沢さんの活動を遠くからぼんやりと見ていたい。ただそれだけだ。

そんながっつりしがみつくファン熱は実はないから、そんなシンプルさを手に生きていけたらそれだけでいい。


自分が感じた穢多・非人。か、、、

が、今日もあちらこちらの世情である。

いつもいつも事件なんて終わりがない。

なんでそうなるんだろう、、ばかりだけど、

人間は自分より前へ出る命を、

蹴り倒して踏みつけたいそんな命と心を持つ人達もいるということがよくわかった。


前へは出ていない。

こじんまりした芸術の森。にしたいだけだ。

こんなことも気配りしてるんだから、

認めて欲しい、、本当に。


明日は日本人の2人聴く中の1人。

宮沢さんの35周年コンサートらしいから、

ちょっと楽しみ。

日曜日には見ることが叶う。

昔、私はめちゃめちゃTHE BOOMが好きだったんだ、、、当時の熱量はどうも戻る気がしないけれど、佐野元春さんの次!くらいなら、

戻るような気がしていて、ワクワクしている。


生きてくだけじゃダメなんだろうか。

生きてきただけじゃ、ロッカーのような人達に情け無い情け無いと蹴り倒されるような、

そんな人生なんだろうか。

一応は人間で先祖代々人間と人間の間に生まれた人間なんですけど。って小さい声で呟きたくなる。結局、⭕️⭕️が大事だからこの女をボコボコにしたら⭕️⭕️が何か得るものがあるから。

のような、間違った温情や慈悲の連鎖が繰り返し行われて、私の場合は逃げるしかないようなそんな状況が長く続いていたし、今だって恐ろしい。

⭕️⭕️が得るものなんて、私とは関係ない所で、やって欲しかったし、今だって全力で突き放している。どうなんだろう。

穢多・非人なら、誰かの為に勝手に使われて権力で押し付けても良い命ということなんだろうか。

沖縄の人頭税のように。

他の国々の強制労働者達のように。


祖父にも父にもそのまた祖先にも、

私がそんな運命にしてしまいました、

ごめんなさい。と最近は本当に感じるようになった。やめてくれないんだろうか、、、、、 長い長い長いストーカー様たちは、、、、、

お偉いのはもう理解したので勘弁して欲しいと心底思う。


その時、その時で全力で頑張ってきた自分の人生は、そんなに何度も怒られないといけない、

陳腐な人生なんだろうか、、、、、


とりあえず、日本人なら佐野さんと宮沢さんは、

そんなこと歌いそうじゃないから、

安心である。


ブランドバッグで誇示できないプライドのようなものは、自分が耐えに耐えてきた時間の中に、

絶対に育つ!育ててみせる!


そんな風に思っているけど、

どうかな。頑張らなくちゃだ。


佐野元春さんはそう風当たりが強くないのに、

何故にいつも宮沢さんとなると、

やめろ的な圧が強くなったりがあったんだろう。最近柔らかくなった気もするけれど。

例えば芸能人嫌いの人がそう言うとして、

その人のことをダメな人と判断してのこととして、私が酒乱の男に暴力ふるわれた時は、

みんな全くしらんふり。で、

酒乱の男を擁護するような感じのことが飛んできたんだろう、、、、、

誰かのコンサートへ行けば、私が逃げまわっていた時、きちんとキスをする日なんだよ!なんてMCはかなり辛かった。

暴力ふるわれるのになぁ。みたいな、、、



宮沢さんの場合は歌手だから、

反対される覚えはなかったのになぁ。

昔も最近も。へんなの。


あなたのことを思ってのことよ!

酒乱の男に毎晩怯えていても、

そこはいいわけか、、、、へんなの。

泣いて叫んでDV相談室に泣きながら電話して、

そういうのはよくて、しらんぶりで、

宮沢さんみたいな音楽だと、

その人達は猛反対ってのが、どうもわからないままだった、、、、、


音楽なのに。



よっぽど酒乱の男の方がタチが悪くて、

私は家に帰るのが恐ろしくて、

カプセルホテルに寝泊まりしていた。

そういう時は酒乱応援団のように、

私が悪いという感じの圧がかかってきていた。


結局、やっぱり、不幸になれもっと不幸になれのオンパレードだったとして、

どこで恨みを買ってしまったんだろう。


よっぽどの恨みなんだろうなぁ。


不幸になることで、誰かの生計や利益が保たれるからなんだろうけど、、、、、


でも酒乱の男に暴力をふるわれていた時、

会社の元ホストだけ味方になってくれていた気がするから、まぁみんなじゃないわけで、

それはいいのか、、、、、


へんなの。


色々へんなの。って思う。


やっぱり「えた・ひにん」なんだろうか、私は。

不幸であれば、誰かの利益になるための、

そんな命で生きて死んでいくために、

この世界に産んでもらった奴隷なんだろうか。


弱いと人は言うけれど、

自分より身体が2倍ほどもある大男に拳を振り上げられて、怖くない女なんているんだろうか。

あの時は身体がブルブル震えて泣いた。

怖くて。父親に連絡すると言うと携帯を取り上げられて殴るように拳を振り上げられていた。

知るかいやおまえの父親なんて!と怒鳴られた。


どうして音楽家を1人聴くと散々邪魔されて、

熊みたいな暴力男なら、

それといろ!となるのかが全然わからない。

ミスチルの歌みたいだ。

彼女に暴力ふるうのが僕のアートです!

日本人はやっぱり嫌いだ、、、、、

普通におかしい。


それなら最初の旦那の方がまだましである。

帰らないけど。


弱くて申し訳ありません。と

白旗あげて謝るしかない。


勝てるわけないんだ。

腕力で。女が。

勝てるわけないんだ。

普通の人間が、権力に。


私はそう思っているから、

とことん遠ざけようとしているし、

してきた。


私は156センチの身長しかない。

その大男は大きくて、拳振り上げたら、

熊みたいだった。それでも宮沢さん聴くと反対されるのに、熊は庇われる、、、、、


おかしくないか?とずっと思っている。


まるで、悲惨に生きろと推奨されていく時間が長い間続いている。

だからもう1人で死ぬけれど、

何にも利用されたくないし、

何にも関与されたくないし、

誰の利益にもなりたくない。

誰であれお見守りなんてされたくない。

それだけの望みになってしまった。

音楽も2つだけ。それしか聴きたくない。


それくらい許して欲しい。


約束します。

私はこの先の人生、きちんと1人で生きてきたわけだから、1人でちゃんと死にます。

でも、もう使わないでください。

そして、もうどんな人も関わらないでください。


お見守りの意味なんて今まで一度もなかった。

暴力をふるわれているときも、

泣いて泣いてどうしようもないときも、

『大丈夫?』なんて助けてくれる人なんていなかったのに、お見守りの意味なんて、

はっきり言って、ゼロである。 

女の同僚には『不幸になれー』

なんて言われてもいる。


へぇ殴られてるねぇ。

青あざ顔に出来てる、これ売れるくらいドラマじゃん!ダメよ、あの男と別れさせたら!


そんな感じだった。


だから一生懸命、逃げたのだ。

その時も。

逃げることがそんなに悪いことなんだろうか。

自分の命や心が大切だと思って、

何が悪いんだろう。


そのDV男に殴られてる私は他人の格好の面白い材料に成り下がる。

だから彼は擁護されたんだろう、、、、、


ほら。お勉強になるねぇ。

よく見ておこうやぁ。

あー死んじゃったねー。ではい終了。


それだけのことだ。


今までの人生、

誰かに見守ってもらって救われたことなんて、

一度も微塵もなかったのだから、

金輪際、一切、いらない。


その人へも同情から入った関係だった。

ろくなことがない!が私の人への思いやりや同情だ。もう2度と同情も思いやりでは動かない。

絶対に!弱い人間ほど思いやりだの同情からきたのか?な事柄はプライドが!と攻撃へ変わる。


自分への同情もいらない!

だから私も2度としない!

そんなことでは自分の行動は決めない!


危険だから不愉快だから逃げるんだ。


はい。私は弱いです。

男の暴力にも勝てません。

権力やご都合主義の力にも勝てないから、

どうか解放してください。


お願いします。


どうしても!嫌なのだ!

過去に助けられた記憶が一度も微塵もないから、

本当に他人のために、、、の命なんだなぁ。

奴隷だな、まるで。としか、

本当に思えない。


まだ奴隷でいろ!って言うんなら、

私の父親の仏前で、声に出して

『あなたの娘を奴隷で利用させてください』

線香の一本でもあげてからにしてほしい。


音楽は日本人のは2つだけ。

それくらい許してくれたっていいじゃん。

ってのが本音中の本音である。

そもそも私はTHE BOOMのファンだったんだ、、、そんなに悪いのか?

昔といい最近といい。