風がメロディなら、地球は音楽まみれだ。

人の呼気もメロディなら地球は音楽まみれ。


なんなら、全部音楽まみれなら、

地球はもう少しましになるだろうに。


朝からローリングストーンズ、

レディガガ、マドンナあたりを歌いながら、

出勤。


芸術のこじんまりした森。

空も地上も自分は関わらせない。


作成中でも、アメリカとなると話は別だ。

なにしろの音楽好き、言語なんて関係ないのだ。


ところで、立ち位置というものは誰にでもあって、私だってそりゃいつもちゃんと下手にいるつもりだけれど、

思想は別だと本気で考えていて、

思想は空を舞い、風を彩り、

そういうのを少し意識してみると、

あまり、むごたらしいことは出来なくなる。


20年余り、好まない人達からのストーキング行為に悩まされているせいか、

関わりたくない、関わらせたくない。と書き続けていて、それでも時折嫌なことも起きる。

この『好まない人達』というのは重要なポイントだ。


自分が好んでいる芸術のこじんまりした森。の人達は勿論好む人達と才能。

純粋に愛していけそうなもの。

あとは数人の知人はいるが私の性格を知っているので、滅多に介入してこないし、不愉快なことは仕掛けてこない。ちょっとの人数だからそりゃそうだ。他の『好まない人達』である、問題は。

どうにもこうにも気味が悪い。


それでも、心のカラーをおかしくしないように、

好きな芸術をこじんまりと愛していくことで、

美しいビュアーが保てているような気がしているけれど、自浄能力も必要なんだろうな。

執拗に刺される感じの長いストーキング行為はまるでリレーのように、グループでされているみたいだから、よほどの憎しみがあるんだろう。

それはご近隣の人にもいるだろうし、勿論、この国の業界にも似たような気質はある。

『他人の価値観を捻じ曲げて、自分好みにしたがる輩、それは昆虫の足や羽を違って胴体だけで、ほら生きてみろ!それこそロックだろ』

そんなことをしたがる連中だ。

追い詰めるだけ命と心を追い詰めて、自分好みにならないなら殺す!そんな感じの。


見た目日本人なので、この国の概念に沿うように

『身の程をわきまえろ!おばさんが!』

には一応従っていて、それでも概念。となると、

そこは自由でしょ。といつも思う。


身の程をわきまえて、米は食べたらダメで音楽を聞いたらダメで車の中で歌を歌ってもダメで何を言ってもダメだから、猿ぐつわしてろよ!

なのかもしれないけれど、

それは『穢多・非人』所謂、部落差別からだったんだろう、、、なるべく大人しくしているつもりだけど、20年となると、さすがに凄い。

2回となると、さすがに認めてしまって、

国外逃亡しかないなと悟る。

そして涙もそういう意味じゃ出ない。


あーこの国って沖縄にも人頭税で苦しめたりした国だから、そういう国民性なんだなぁ。と、

理解しただけで済んでしまった。


沖縄もそんな歴史があるそうだ。

人頭税。ま、生きてるだけで、

上から『米を納めろや!』とされ続ける差別。 

要するにその当時の沖縄の人は、税を強いられる方々よりもゴミな存在で何しても何やっても何言ってもよい命だったらしい。

私にしても、似たようなもんが2回。


日本ってそうなんだなぁ。

と大変お勉強になった。そんな経験だ。


どうやら、私の場合は20年あまり、

一番この国では、下々と認定されてそれをされ続けているらしいけれど、

オノヨーコさんが心を救ってくれたおかげで、

国外逃亡を気持ちの上ではしてしまった。


もう誰の言うことも聞かないと決めている。



佐野元春さんの歌に、

『憎しみと嘘に打たれて』という箇所があるけれど、自分に思いつかないところで、

憎しみをこれほどまでに執拗にやられるということは、何をしたんだろうなぁ。と考えあぐねても、なかなか思い当たらない。

困ったものだ。


まぁというわけで、私は芸術の小さな森。をこじんまり作って、それを抱えて、アメリカンミュージック、絵画の世界を愛している極めてシンプルな命をやっている。

もう沢山だ、この国のあれこれは。


目下、佐野元春さん宮沢和史さんのみ。

日本人は2人しかこれからも聴く予定はないし、

日本人は関わらない、関わらせない。

『そうですよねーそうしましょう』なんて仲介人がいたとしても、『あなたもですけど』そんな気分なのだ。自分の意思にも気持ちにも仲介媒介は必要ない。


それを言い続けても尚、は20年あまりだ。

よほどの憎さと歪んだ思想なんだろうが、

ストーカーと嫌がらせ。以外のカラーはその人達にはない。


ところで、風はメロディ。で地球を包む。

なんて理想はあれど、

この世界に音楽、芸術を愛している人間が、どれほどにいるのか、実はわからない。

芸術が力を持っていた時代は少し衰退気味だけれど、私はやっぱりそういうものを愛していたいなぁ。とシンプルに思う。


女優の⭕️⭕️さんは美しいけど、あの歌手は汚い。今日もネットは文字が踊っている。

Yahooとか沢山の人が見る場所にそれは踊るように出来ていて、目に入るたびに、あーあ。と思う。身近なところで、公園のおばちゃんや、世間話と悪口が好きな人達が、まるごと、沢山の人が見る世界に、そのまんま移動したように、

うんざりするけれど、


パリジェンヌは自由で個性的であることがいたって普通な景色だけれど、

この国日本は、『みんな似たような感じじゃないと』な価値観が、全て計測の材料になっていくんだろう、、、無個性とは思わないんだろうか。


自分はヌートビア国民なので、

もはや日本のことはとても俯瞰で、

結構、なかなかな国なんだな。くらいしか思わなくなったけれど。


いつか、

メロディを誰もが吐いていることに気がついて、

例えば悪口や誹謗中傷ならヘビメタな音楽、

かわいい女性であれ、

『あら、私、ホワイトスネイク歌ってるんだわ』

そんな風に思える時代が来たらいいのに。


意外と男性の方が、

ブラックコンテンボラリーだったりするから、

こりゃまた不思議である。


でも今日は機嫌がいい。

週末にある宮沢さんのコンサートを、

ネットで見ることにしたんだ。

日曜日に落ち着いて見るから、

歌詞とか間違えないかっこいいステージだったらいいな。


明日は読書三昧そしてネイルで忙しい。