北陸に友人がいる。

彼女が私の住む街へ遊びに来たとき、

瀬戸内海を見ながら、

こんなに色んな島が見える海は初めて見た。

と驚いていて、普段、見慣れている海の景色を、

改めて、そうか、、悪い景色じゃないんだな。

そんな風に感じた。


プライバシーだとか自分の内省だとかあまり人に介入されたくない私は、

とにかく自分のことを友人であれ言いたくない方だ。よほどのことがない限り言わない。

父親が亡くなった時も、もしかしてそうなのかなと思った。と連絡があったのは、

亡くなって何ヶ月も経ってからだ。

自分のことを開示する習慣がないんだと思う。


けれど、友人でもない人が土足で立ち入ってくることはどういうわけだか多い。

静かだからそれをしていいと思われるのか、

あまり声を荒げて怒らないからかもしれないけれど、激怒したら酷い人間で、

極道の女たち。みたいになるから黙ってるだけだ。


そんな私は、

小さい小さい島に1人ぼっちで住んでいて、


芸術のこじんまりした森というべきか島というべきか、そんな小さめの好みのものをてんこ盛りにした小さめな島に、

毎日、自分のボートでえんやこら行って、

和んで、また1人だけの島に戻ってくイメージ。


この世界、この世情、

美しい歌や創作物の中では、

『みんな一緒にさ』だとか、

『誰もが同じ船』だとか、言うけれど、

歌とか創作物だからいいだけで、

そんなわけは勿論ない。

そんなことは勿論ない。のに、

そこ鵜呑みにしちゃいます?な人達もいる。


すいませんが、私はご遠慮している。

嫌だ、誰もかれもと同じ船なんて。

嫌いな人だっている。

パワハラしてきた部長とか絶対嫌だ。

あいつがあっちの島なら、見えない島へ行きたい。そうなるよね?普通はね。


というわけで、1人ぼっちの島から、

ヨイショっとボートを漕いで、

芸術の小さな島。へ毎日毎日行ってる、、、

その思考回路はまぁまぁ豊かだ。


人間の思考回路は常に自分が中心だ。

テリトリー意識のようなもの。

『あんたのシマは私のシマとは違うよ』

そんな感じらしい。


私は基本的には1人が楽で、

何も関わりたくない、関わらせたくない。


けれど、芸術の島の住人が、

どんなものを受け入れて、どんなものを取り込んでいくのかなんて、

勿論自由だ。


これって、夫婦であれ恋人であれ友人であれ職場の同僚であれ、個のシマ。に住んでいて、

一緒のシマなんて思うことは、

ちょっと危険なんじゃないか、、と、

いつもそんな風に感じてしまう。


自由でいいんだ、、、


私は1人の島ではっきり言って、

引きこもりに近くて、そうそう1人を変えるつもりなんかないけれど、

毎日毎日ご丁寧に行っている芸術の小島の住人達は、それはそれは、空飛ぶ鳥のように、

栄養や知識や知見や概念を、

取り込んではその土壌を豊かにしていく。


ごちゃごちゃしたものは好まないので、

そこへは遊びに行ってるだけで、

充分なのだ、私は。


シマ、島、アイランド、

呼称は違うが、

私ならこう言う。


『浮かんでる海は一つだ』と、、、、、


豊かに海とシマ、島、アイランドが、

融合出来れば、

自然にきっと素晴らしい海は、

いつまでも瑠璃色の地球でいられるはず。


理想はそんな感じなのだけれど、

侵略、支配、そんなものは、

やはりよろしくない。


平和って、

きっと海は一個だ。


その意識だけなような気がする夜である。