この国の誰もが

世界中の誰もが

『時の旅人』であることには変わりがなく、

朝の通勤時間、道行く人だけではなく、

大都会の地下鉄のホームで並ぶ人達。

満員電車に揺られている人達。

沢山の人を想像したりもする。


自分だけの時間軸と空間だけを見ていることは、

時としてとても危険なことを知っている。


この世界の憎しみ、嘘、争い、荒んだ何か。

の原因は何なんだろう。


いつか自分は願わくば、

ピースボランティア。もしくはそれと似たような活動に携わりたいと考えていて、

それは実現するかどうかはまだわからない。

けれど、平和の為に、人間の素数にも似た、

争いや感情を考えることは、

今の自分の趣味のひとつだ。


趣味は思想と絵画とリズム。

音楽は思想の窓。とも言えるけれども、

日本人は二つだけ。佐野元春さんと宮沢さん。

アメリカンミュージック達はほんのり意味がわかるリズム達。


ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』

この絵を最近知った。絵画は好きだけど、

そんなには詳しくお勉強していなかった。

けれど最近は真面目に少しずつお勉強をしている。


ローマ神話に登場するサトゥルヌスが将来、自分の子に殺されるという予言に恐れを抱き5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承をモチーフに自己の破滅に対する恐怖から狂気に取り憑かれれ、自分の子を頭からかじり、食い殺す凶行の絵画だ。恐ろしいけれども、

これも平和。にならない一因なんだろう、、、


誰もが脅かされたくないんだ。

やっぱり怖い。私だって嫌だ。

誰だって怖い。どんな人だって怖い。

きっと脅かされるのはローリングストーンズでもきっと嫌に違いない。


脅かされると争い、そして傷つけあう。


シンプルにしなきゃいいこと。が多すぎる。

それだけのこと。


けれども、人は人を誹謗する習性をいつからか慢性化してしまって、癖のようになっている。

そんな人もやっぱり残念だけどいる。


地下鉄の中、満員電車の中、朝の通勤路の道歩く人の中、例えば世界のウォール街、

近くを見ろという人もいる。

いや、それだけじゃダメだ。

世界には世の中には沢山のリズムがある。


もしも自分の世界が単調でつまらないもので余暇は他人のあれこれを見たり考えたりするだけなら、あまりにも悲しいし虚しい。

地下鉄の中、今日の仕事帰りに大好きな日本酒のテイスティングをワクワクして考えてる人がいる。彼氏彼女のことであれこれ考えている思想がある。私の趣味が『偏ってるだけ』で、

私も絵画、リズム、思想。そして活字が、

本当に好きなものだから、そんなことばかり考えている。


活字好きが幸か不幸か、ひとさまの誹謗中傷の活字までポリポリ食べている。

何故なのかなぁ。ばかりで、研究してみても、

『文字打つのが早い人達で朝飯前なんだろうな』

だとか、

『鼻につく』とかそういうことなのかな。

だとか、

『おまえのせいだろ』とかそういうのなのかな。

だとか、

色んなことを考えるけれども、


過ぎた時を引き戻すことなんて、

誰にも出来ないし、不毛だ。

心を縛れないように他人の心も自分の心も縛ることなんて出来ないし、しちゃいけない。


このゴヤの絵画のように、

襲われるまえに脅かされる前に、

命を食いちぎるモンスターばかりになってしまう。


楽しい毎日ばかりじゃない。

しんどいことなんて沢山ある。


でもなんかあるはずなんだ。

他人を脅かさないそんな『密かな楽しみ』のようなもの。


私の場合は絵画の勉強と活字達とリズム達。

こじんまりした芸術の森。にいる

大切な宝物。をちょくちょく追いかけること。


そんなのでよくない?

なんてシンプルに思う。


絵画の世界はいいよ。

本当にいい。

沢山の本当が埋まっている。


ミケランジェロもモネもダリもゴッホもシャガールも沢山の痛みや人生を抱えても尚、

作品達は本当に素晴らしい。

絵画の油絵の筆跡が好きだ、私は。

沢山のことがあった人間が、ベタベタと塗りたくったキャンバスを見ていると、

温度を感じる、そこにちゃんと人間がいる。


私はYOKOの世界観がとても好きだから、

どうであっても、

平和。について考える。

だから人間について考える。

自分の怒りはどこからくるのかも考える。


いつか、きちんと人前でも話せるくらいに、

きちんと抱きしめて歩いていかなくちゃ。


佐野元春さんはミケランジェロもジョルジョブラックも音楽で描ける人。

宮沢和史さんはゴーギャンもモネも音楽で描ける人。私はこの2人しかそりゃ聴かないけれど、

どんな音楽家も絵画の芸術家のような絵を音楽で描けるはずだ。本物であれば必ず。


世の中のエアーには、

沢山の光がちゃんとその生業の人達で、

彩られ、そして準備されている。


世界は本来は素晴らしい。