こじんまりとした芸術の森。作りに、
脳の電波をビクビクさせているせいか、
見るもの、読むもの、聴くもの。が、
厳選されていて、大変良い。

自分自身は、誰も関わらせず、関わらず。
は、きちんと貫いて、2度と関わらせないと決めているので、おかしなストーカーめいたものを感じると機嫌が大変悪くなるけれど、
そういうものを感じない限りは、
大丈夫だ。スカートの裾踏み続けられるなんて、
まぁいじめだろうな。で、なるべくスルーしているけれど、よくやるわ、、、と本気で思いつつ。

芸術のこじんまりした森。
佐野元春さんは本当に素晴らしくて、
言葉という言葉に知性がみなぎっているし、
宮沢さんにしても、まぁ知ってたけど、
博識極まりない。知らない漢字がある時に、
いちいち調べながら読んでみたりする。

『お勉強になるのだ、要するに』

芸術的にも素晴らしいし、
そうそう!こういうのなの、私が求めているのは、、、が、ピタリとくる。

世の中のスキャンダルや色々なことは、
はっきり言って、自分にはあまり興味がなくて、
その人達のプライベートより何よりも、
こんな知識、芸術。がとにかく私自身は欲しい。
安いドラマはいらんのだ、私は。

疲れていると、なかなか本も読めないけれど、
最近は少しずつなら読んでもいるし、
上出来。とは言わないけれど、
ほどよく成長している感じ。

岡本太郎さんの文体が、
個人的にかなり気に入ってしまった。
まさに芸術家。
岡本太郎さんのイメージが『爆発』だけだった、
愚か者の私は、文章を読んで、
あぁ、この人は壊すだ弾けるだ、
そういう芸術の美だけでは決してなく、
それこそ、着飾らない生きてきた人間、
例えばお婆さんの美しさを芸術とみなし、
そこにある作られた美しさより、また何か別のものに芸術性を感じてこられた方なんだと知る。

かなり意外だった。

太陽の塔。の
黄金のピカピカしている顔が『未来』
真ん中のが『現在』
背中の黒い顔が『過去』だと知る。

芸術なんて捉え方はそれぞれだけれども、
背面の過去は真っ暗じゃない方が勿論いい。
影。みたいなもんか、、、、、

うっすら目をこらしてみれば、
影にも似た黒い色彩に沢山の模様が入ってる方が好みだ。シニャックの点描画の絵画のように。

のっべらぼうな影はいらない。

『自然をないがしろにした文明の進歩に何の意味がある?』岡本太郎さんの思想のひとつらしい。
『心をないがしろにした芸術の進歩に何の意味がある?』とことん流れていく心たちは、
血を吐き、傷つき、泣いてわめいて、
誰でもだ。どんなことでもだ。

今日は大御所ロックミュージシャンが、
新しいアルバムをとのニュースに、
すかさずネガティブなコメントもそりゃある。
もしかしたら、彼は膝抱えて泣いてるかもしれない。痛みだろ、、、、、

それだって芸術にいくらでもなる。
彼が許せば。の話ではあるけれど。
人の痛みの『またがし』はよろしくないし、
何より下品だ。

岡本太郎さんの著書にこんな一節もある。
それ自体すでに完結しているものを、さらに作る卑しさ。まして物が物になりきらず、空しい妄執、その残骸の窒息しそうな堆積から取捨してようやく過去をジャスティファイするなんてケチなことだ。こんなことをしていると、るいるいとした不潔な排泄物は人間を虚偽におとしいれ、鈍くし、堕落させる。
 
全くだと思った。
今の時代そのものであって、また一般人でさえ他人のあれこれにとやかく介入していくことが当然のようにツラをしはじめている。

狂ってる。こんな電磁波を残したままに、
純粋無垢な赤子の成長の世界にするのか?

芸術のこじんまりした森。の住人さん達は、
どんなことをこれからの時代に見つけていくんだろう、、、楽しみだな。

私はこじんまりした芸術の森。があれば、
そこそこご機嫌に生きていける気がしている。
他人が関わらない、関わらせない。
そんなプライバシーが守られる世界である限りは。