朝から佐野元春さん歌いながら、
車を運転。そして出勤。
日本人は佐野元春さん宮沢さんしか全く聴かないから、なかなかな快適空間だ。
芸術のこじんまりした森作りは地道に続いているけれど『はっ!』とするほどのものには、
なかなか出会えなくなった。
昨晩は岡本太郎さんの著書を少しだけ読む。
疲れているせいか、少しずつ。
美術検定の勉強もしないといけないし、
なかなか、、、体力って大切。
私の尊敬している作家の方が花の写真をアップしていて、ずっと調べてるけど、
さっぱりわからない。
フワフワなこのグロテスク感が、
人間の脳みそみたい、、、、、
一個の人間なんて、この人はこう!とレッテルを貼るよりも、もっとこうウジャウジャしたものがあって、抑圧したがる人間の特性が強い人ほど、
『これはこう』『この人はこんな人』と、
絵に描いたヒマワリのように、
絵に描いたガーベラのように、
あてはめては、決めつけて枠へ入れていくんだろう。その人の額縁に、、、、、
このグロテスク感がいいなぁ。
本来の命だ。
それはそうと、
芸術のこじんまりした森。に、
日本人の音楽しかも歌を歌っている人は、
2人だけ。だけど、
あれこれとスターちゃん達のニュースは相変わらずだ。聴いてないのに、ちょっと疲れる。
この疲れの原因はなんなのかもわからない。
ま、頑張れ!そんな気持ちだけ、じっとりと癒着した液体のように心に張り付く感じ。
ミスチルのあれやこれやも、ただのゴシップだと良いけれど、頑張ってほしいな。
聴かないけれど。そんな感じだ。
この国のパレード好きには、
本当に嫌気がさしてしまう。
事の真相がどうであれ、手垢まみれの汚れたプレートのように見えてもくる。
全く美しくない。
ドラマも音楽も日本のものは見ないし、
そのような世情には入りたくもないけれど、
救いがあるとしたら、
知見がある方々の知識の提供。
それしかないと最近はとても思っていて、
ちょいちょい、そんな知識を拾っては、
調べていたりする。
この花のように。
この国のパレードなんて、どこでもそこかしらでも、はっきり言って存在していて、
それがマスコミに取り上げられてる所が、
肉付けが激しいだけのこと。ではあるけれど、
関わりたくない世界観、、、ばかりで、
見ているだけでも胃が痛くなる、
なかなかセンシティブストマックな私だ。
情け無いけれども、胃が弱くなった、、、
加齢ってそういうもんだとつくづく思うけれど、
こればかりは仕方ない。
見ない聴かない関わらない関わらせない。
自分の胃腸を守らないと仕事が出来なくなってしまう、、、まずい。それだけは。
私の知識欲。が、ビビッと反応するように、
この国の表舞台の方々は、バンバン知識を空から舞わせて欲しい。
あっさーい知識欲だから、そんなにひっかからないけれど、佐野元春さん宮沢さん田口ランディさん岡本太郎さんあたりは、ビビビとなっていて嬉しい。
人間の感情についても、ぼーっと見ているけれど、あいつのせいだろ、、みたいになっちゃう感情の正体も所詮、一過性のもの。
その人がめちゃ幸せそうでも成功していようとも、別に自分が劣っていなければ、
よくないか?なんて思いながら、世の中を見ている。でも争いごとは消えていかない。
不思議だなぁ。胃腸に悪い。
工藤静香さんのネットの揉め事。
なんかも分析しながら、
見ることが日課のようになってしまったけれど、
要するに、目立ってしまうとそうなるんだなと。
でも彼女が日陰になっても、また太陽の下でニコッと笑えば言われるわけで、
彼女にしてみたら、娘も旦那もなんでも出来るように、バーンと出ちゃあ、叩かれてるんだろう。
気に入らない。ってだけで、
すごいアリの数だな、、なんて感心するけれど、
もはやスポーツに見えてきた。
彼女の投稿はいわばサーブ、
あっち側にレシーブやらトスやら、
球がコロコロ転がっては落ちていく。
やるなぁ、、、しーちゃん。
しーちゃんも成すべきことをしていて、ただのインスタ好きなんだろ、多分。
わたくしは佐野元春メインオノヨーコメインの芸術のこじんまりした森。をチマチマ作っていこう。宮沢氏も35周年おめでたい。
めちゃめちゃ地味に芸術のこじんまり森。を作成中。どっかで披露することは、
『たぶんない』
空も地上も『こじんまりした芸術の森』以外は、
関わらせないし、関わらない。
カオスのような世界はごめんである。