子供たちが君に聞く

『本当のことを知りたいだけ』


私が日本人で2人だけ聴いているうちの1人、

佐野元春さんの歌の歌詞なんだけど、


マトリョーシカを思う。

もしくは、巨峰。みたいなもの。


中身までわかるわけないじゃん。

そんな流動性がある生体なだけの私達の

誰かの『本当のこと』

そんなのわかるわけないじゃん。


みんなネットであれやこれやと責めてる言葉。


私だって頭にきすぎたら、

どこかでぼやく。

歌いビトなら歌詞に混ぜちゃうこともあるだろう。


全て流動性のある生体な私達の、

そのとき。なだけじゃん。


そう感じている。


マトリョーシカの見えてるところの、

その人を責めたところで、

蓋を開けてみれば、

シクシク泣いてることもある。


その時の本当のこと。だ。


その翌日には、ケロッとまた詐欺してるかもしれない。

その時の本当のことだ。


本当のことなんて、

その時の本当。なだけだ。


私は、その時。しか信用しない。


だから、見えてるマトリョーシカが、

感じ悪いわ、、と別れた人は、

そのまんまで、過去の人だ。

会うことがなければ、その最後の印象の思い出の人なだけ。


なんというのか、


余波があまりにも乱雑に広がっていく、

そんな世界で、


生き直すことも足かせがあり、

純朴な女性になりたくても足かせがあり、


なんなんだろうか、、、と

感じることも少なくない。


その時。が、真実。


そこに予言も予告も予知も、

なんにもいらないはずだ、、、本来は。


自分のマトリョーシカの中身なんて、


そんなもん、わかるわけないじゃん。


殴られたら、泣いてるマトリョーシカ。

少しだけ幸せなら、微笑んでるマトリョーシカ。

怒って泣いてなら、暴れてるマトリョーシカ。


見せないように、

大人でいられるように、


中身を産まないように、

表面のポーカーフェイスで笑ってるだけじゃん。


自分にしかわからないこと。


本当のことなんて、


だーれにも、私にも、


わからない世界で、


平和。って、どういう理想にしたらいいのか、


私にはまだうまく言葉には出来そうにない。