穏やかに一日を終える。

朝も帰りも佐野元春さんの音楽。

芸術の小箱。を作って生きていこうと、

まぁ見事にコツコツやっている。

宮沢さんと佐野さんだけ。しか日本人は聴かない。あとはいらない。聴かない。行かない。

こうでも言ってないと、楽しい方向へすぐに流されるから本当に言い続けなくちゃ、、、、、


ネットニュースじゃ、また若いアーティストの自殺のニュースだ。

随分慣れたけれど、どうしても心が痛む。

まだ25歳なんて若すぎる。


夢だ希望だ微笑みをだ、沢山のきれいごとは、

世の中を覆うけれど、

そもそも人間社会なんて酷いこと前提であって、

そこに利益だのなんだのが絶妙に絡まっていることは、もう大前提で生きた方が私はいいと思う。


だから、芸術の小箱。を作ったんだ、私は。


不愉快なものを排他的に自分の心に干渉させない為に、そうやって生きていくべきだと思う。


人間なんて1人で生まれて、信頼出来る人をより多く作ればいい、そんな価値観はあるだろうけれど、実際、私自身は裏切りなんてアホほどあっている、、、ま、こんなもんだよな、、、

で、終わるから、さっさと切っちゃえば別段どうということもない。


なにが若い彼を自死まで追い詰めたんだろうか。

音楽業界の汚さだとか矛盾なんだろうか。

そんなの当然のことなのに。

綺麗な商品達が光り輝く為に裏なんてドロンドロンですよ、あなた。

それをわかった上で、信頼出来る人と手を組んで進むしかないわけで。


自分の才能だとかそういうことなんだろうか。

私なんて才能なんかないからわからないけれど、

命を捨てるほどに音楽って大切なものだろうか。

ギター教室の先生だって、なんだってあるだろうに、、、なんて残念な気持ちになる。


この世界はそもそも汚い。

信頼出来る人間を大丈夫かな。なんて、

探していくしかないんだと思う。

信頼していても傷なんていくらでもつく。

あまり夢が誇大化することは、

本当に危険だと私なんかは思っている。


ダリの記憶の固執。という作品。

あれは見事だ、、、、

時計がぐにゃあと溶けている。

自分の概念の中で、素晴らしい造形の時計であっても、その空気に触れた途端に、

ぐにゃあっと溶けていく時計、、、、


本質なんて流れていくことだってある。


死ななきゃいいのに。


私自身は、芸術の小箱だけ!を抱えて、

信頼出来る人であっても程よい距離で、

その程度の人間しか2度と関わらせない、

そう決めて生きている。

他人のきれいごとや興味に付き合う余裕なんて、

あるわけがない。

縁切りした人間はもう2度と関わらせたくないし、関わるつもりもない。

この国のパレードにも似た何かは、経済しか本当は見ていない人達が作っていくもの。

他にも小道はある、、、必ず。

私なんてパレードが嫌いだから、昔の知人にしても光が大好きな人達をイメージしてその手の人達がパレードの中核であり続けることを本気で望んでいて、そして2度と関わりたくないと思って生きている、、、いくらでも方法はある世界であって欲しい、、、死なないで、、って思う。


優しくて、そして、誰にでも好かれないといけない商売をしている人間の悲哀をいつも感じてしまう、、、こんなニュースばかりだと。

若い命が自分で命を断つと悲しい。


あなたのクローンを作って、

クローンに芝居させときゃいいだけの話。

演奏させ、お喋りさせ、笑顔をふりまく。

クローンの時間は、その仕事のあとは、

解放してやんなきゃ、もつわけないだろ、、


と私なんかはいつも思う。


なんというのか、

いちいちせつない。