沖縄の事をお勉強していると、
人間の愚かさ、そして痛みを負った土地の人々の強さと美しさ、そんな事をシンプルに考える。
なのに、まだどうも私には色々見えてきて、
どうにもせつない。
テレビでは毎日毎日銃撃だの戦争のあれこれ、
拘束していた人間がどうのこうの。
人間は間違う生き物だと思う。
ずっとその間違いを犯し続ける人間なんて、
そうはいないことを私は信じたい。
そして、間違いを犯したのなら、
新たに空に向けて、真っ直ぐ光を伸ばし続けた、
ジョンとYOKOのイマジンピースの光のように、
それを粛々とやっていくことが、
人間に出来る唯一の地球への懺悔だと思う。
同じことを繰り返しては絶対にいけない。
なのに、どうしてだろう。
沖縄の島もそうだけれど、
歴史の中、オランダはスペインからの執拗な干渉と介入、支配下にあったという。
歴史はあまり興味もなかったから詳しくはない。
詳しくは茂木健一郎さんまで。そんな感じ。
だけど、あちこちにあるでしょう?
どこもかしこもあるでしょう?
悲しい歴史は人間の暴力的ですらある、
そんなパワーゲームの全て。
それが普通。だという風潮に慣れないで欲しい。
『いや、それは繰り返しちゃ絶対にダメだよ』
びっくり水。のように声をあげないと、
気がつかないのか?
私は頑固なので、そのことをずっと言いたい。
だから頑張って本なんか読んでみたりもする。
私自身、すっかり他人を関わらせない、関わらない。と決めてしまった。
日本の音楽は佐野元春さんと宮沢さんだけだ。
他の概念、価値観、思想は音楽の中には求めない。音楽は自由であると同時に時折、聴くに耐えられない暴力的なものもある。
けれど自由だ。表現はファンの人達を見て書くのかなんなのかは知らないけれど、
自由だろうから、それはそれでいいと思う。
自分は関わらないだけで、、、、、
私がピックしたお2人は頭脳明晰なので、この世界にどんな言葉を落としていくのか期待感が持てる。その事が自分を豊かにしてくれる。
それにしても、執拗な介入と干渉ってなんだ?
今日はフェルメールについてのビデオを見ていて、ここもそんな歴史か、、とうんざりする。
介入と干渉。ふざけてる。
岡本太郎さんの沖縄文化論。の中に、
これは本当に正しい考え方だなぁ。と、
惚れ惚れした一文があった。
日本の官僚主義は沖縄のよさを全てシステマティックにぶちこわそうとしたのだ。
危険な政治だ。近頃、官僚や古い役人根性がやたらに統制、指導をしたがっているが、日本国津々浦々に自然に芽生えるよろこびを刈り取ってしまっては大変だ。
岡本太郎はぶっとんだイメージしかなかったけれど、彼もまた天才だったんだなとつくづく思う。
自然に芽生えるよろこび。
私はこれまでの人生は沢山の人間と関わったり仕事をしてきた。
自然に芽生えるもの。は、そっとこちらが黙ることでようやく出てくることの方が多い。
それが例えばワガママなことであろうと、
情け無い愚痴のようなものであろうと、
なんと偉そうな、、なことであろうと、
自然に芽生えて良いものは、
やっぱりいくらでもある。
何故なら、それこそが、平和への貢献の一つだからだ。
私は何度か息がしずらいと感じることがあった。
若い時は本当に息が止まるくらい、
生きることに緊張していた。
最近はもうどうでもいいわ、、と、
ふてぷてしくやっている。
人間は自然に芽生える感情の道の上を、
ただシンプルに生きていけばいい。
本当にそう思う。
私のシンプルは、芸術の小道のような小さな森。を自分の中に作ること。
佐野元春、宮沢氏のような日本の天才の歩みをぼんやり見ていくこと。
どうしてこうも、世の中は矛盾や争いが減らない、、、それだって自然に芽生えた感情、、、
私が心で抱きしめるものは、
私が愛しているものだと感じる。
世界も平和もこの2人の日本の創作家も、
絵画も、活字の中に潜む涙たちも、
空も風も、自分の怠惰に思える日常も、
自分が何かに駆り立てられるものの正体も、
私は愛している。だから考えるんだ。
全ては自然に芽生える感情であって、
そのどれもが、別段、誰か!この土地へ!
への憎しみや暴力には絶対的に向いてはいない。
ネガティブな感情を個人へ向けないために、
私はふんわりした対象をこよなく愛していく。
そんなのでよくないか?と思う。
岡本太郎さんの沖縄文化論の中の言葉じゃないけれど、何かを統制しようとする連中は、
何かとても大きく間違えていると思う。
私は統制はされない。
そして統制を糾弾したい。
それくらい、権力というものを疑っている。
正しい普通の人々のピースタワー。
有名無名に関わらず、そんな光が、
真っ直ぐ空へ伸びる世界。
理想だなぁ。いつかそんな世界ばかりが見えたらいいのに。