世界は広い。

広い、広くて目眩がする。


テレビじゃ宗教団体の新たなビジネスの云々。

金と欲望をとっぱらったら、

この世界はどんな風な穏やかな表情を見せるんだろう、、、

画家達はモネのような美しい絵画を書いていって、自然光の色彩を一度プリズムにしたような、

それはそれできっと美しくて多彩なアートがきっと出来るんだろう。


ところで、断捨離。と、

関わらせない、関わらない。と、

ずっと書いていくと決めた私なんかは、

どうも気味が悪い世界しか想像出来ない。


私の思想の小さな家。の理想は、

佐野元春さん、宮沢和史さんの音楽だけが、

この2つだけが年がら年中鳴っていて、

芸術。絵画達の世界観を愛でていく。

息子は私の唯一の家族だ。

高齢の母もいるけれど、いずれ1人暮らしに戻ることだろう。


この小さな家に、テレビの中の人であれ、

昔の知人であれ、今の知人であれ、

例えばミスチルだとかドリカムだとかB'zだとか、

覗き込んでくるような世界や家は、

本当に嫌だな、、、、、

あるわけはないけれど、想像するだけで、

嫌なのだ。それだけ心の距離が、

誰もかれもに自分があるんだろう、、、、、


佐野元春さんの歌『優しい闇』その歌詞の中に



なんだろう

ひとはあまりに傲慢だ

帰り道をなくしているのも知らずに

なぜだろう

ひとはあまりに残酷だ

約束の未来なんてどこにもないのに

また欲張りたちが

意味もなく吠えだしている

ここにひとり あそこにひとり

野蛮な闇に満ちてゆく


こういうのがあるんだけれど、

私の帰り道は本当は一つの音楽を守りたい。

それだけだ。

語弊があってもいけないけれど、

聴いていて大丈夫な音符や言葉。は1つと決めている。あっちやこっちに脳みそ振り回される時代なんてとうの昔に終わってしまっている。

約束の未来。なんてはなっから今までの人生であった試しがない。みんなあるのか?

就職ひとつ取っても、受けては落ち、落ちては受かり、自分がこの仕事をやりたい!をそのまま100%で突き進んでやれたことなんて、私の場合はない。受かったらいいなぁ。な場所を受けて、

ご縁あってその職種を愛せる所だけ増幅していく。恋愛だってそうだろう、、、

この人と約束の未来を!なんて考えながら、

進んでいった人なんているんだろうか。

なんとなく、、生きてきただけだ。

そして、なんとなく生きていく。


明日の足元にあるものは、こうでこうで。

そんな奴いるのか?


ただ欲張り達と金が必要な場所がそうではないことを一番知っているのも私だと思う。


私は、一年50万契約の婚活会社で営業兼カウンセラーをしていた。

会社としては契約は必ず取らないといけない。

私は言う。

貯蓄200万の会員にも言う。

『誰か人生はいた方がいいよ、一緒に頑張っていこう!』一緒に。って、ご都合言葉だ。

そんなわけはない。

私は仕事が終われば、彼の事なんて微塵も考えないし、給料が入ればそれでいいのだ。

自分の生活のあれこれで、彼が困ったシーンに連絡なんかこないように電話番号なんて教えていない。会社で婚活する数時間だけ、なんとなく応援しているだけ。時間が終われば、そんなものひきずって生きていけるわけがない。

200人弱担当してるのに、当たり前な話だ。

宮沢さんの歌にピアノという曲がある。

全くその通りで、その時だけ愛を奏でる。

本当は歌いたくなくてもだ。

私もそう。金が欲しいから契約が欲しいから、

婚活男子にきっと結婚できるよと笑う。


婚活の見合いが失敗してもしても、

私はこの一年に一度50万円を数えるために、

『絶対にいつかいい人と結婚出来るよ、ダメだよ諦めたら』

嘘ばっかり言う、、、50万が必ず契約として必要だからだ。

想像以上に世の中はなかなかヘビーで、

彼が女性達から振られ続けるのは火を見るより明らかで、それでも私は『いつか必ず!』と言う。


佐野元春さんのその歌を聴いていると、

私は自分のあの時代の会社組織の利益の為に、

人の心を考えてあげない残酷さを思う。


ピアノ。という曲の本質は違うのかもしれないけれど、あぁ、わかるなぁ。と思った。

だけどそれを書ける宮沢さんはやっぱり少し似てるな、、とも思えた。だから応援していく。

利益。会社、社会の流れのために、

本当はその人にはむごいこと。相手なんか見つからないんだから貯金はとっときな。

そっちの方が本当は親切だ。

見つからないって言い切っていいんだろうか、、

そんな迷いばっかりだった。

会社や組織の50万絶対取れ!は、

ある意味私の防護服。私の意思は本来はそうじゃない、でも仕方ないんだよ、、お金がさ、、

契約がさ、、、と心で言い訳できる。


あれから随分、時が経ち、

今はそういう仕事をしていない。

だから誰の仕事にも協力するつもりがない。

いたって、透明な仕事としか関わるつもりがない。2度と誰とも関わらないし関わらせないと決めているのもそんな経験からだ。


小さな家。のコレクションは、

本当にいい。


佐野元春さんは多角的視点の音楽がとても多いし、宮沢さんは沖縄のあれこれを想像させてくれる。これだけでいい。

たまに息子が帰ってくる我が家は変わらずのんびりしているし、無駄な日本のドラマもない。

絵画達がもう少し増えたら素敵だなぁ。

そんなことをいつも考えている。


最近は本当になんだか現代病。のように、

だれもかれも携帯で誰かと何かと繋がっていたいそんな現代病が凄いのだそうだ。

私の友人は夕食を作りながら、彼女の友人と話しながら、、らしい。

ラインもみんなよくそんなに打てるな、、と、

本当に感心する。

ゲームもそう、芸能人もそう、、、

繋がることが常になっているらしい。


私は嫌だ。


ぶっちゃけ、自分が繋がりたい人なんて、

年に10回あるかないかだと思う。

はぁ、、どうしてるかな、、な時に、

たまに連絡する。ホントにその程度で、

時代と自分の違いに最近驚いている。


広い世界で小さな家。

そんなのを守りたい。とにかく守りたい。


虫1匹入れたくない。


チョイスしている音楽さん達は、

基本的に公共の人達。なので、

そういうのはどうだっていいが、

自分がほんのりとLPレコードを開いて、

へぇ。と微笑む静かさが欲しい。

どうにもこうにも、

時代が私と合わない。

こんな新譜だね、最高ー!facebookにアップしなきゃ!は、たまにはやっても、

もうしたくない。

プロモーションにはならないことがよくわかった。ただの自分のアピール。

こんなのが好きな私を私は好きなんです的な。


音楽。はかつては、

LPレコードをそっと薄い薄いビニールから取り出して、そーっと針を落として、

歌詞カードをじっと見つめて、

こういうのなんだぁ。なんて、

またそっとしまう、そんな丁寧さの中に、

音楽はあった。


なんだか反省である。

私も時代に合わないと言いながら、

完全に時代に飲み込まれている。


せめて2つの音楽は、

Spotifyの再生数を上げてあげる。

そんな優しさで向き合いたい。

別段、佐野元春さんも宮沢和史さんも、

細くて小さい道ではない。

世界の真ん中にいてもおかしくない人達だ。


でも私んちでは、まぁまぁ小さい。

それはブロンズの小さな置き物のように。

この二つだけで本当にいい。

もう他はいらない。ずっと言ってたい、、、、、

そうじゃないと、どうもこうも、押し寄せてくる。藤井なんとかがいいから聴いて聴いて!とイヤホンを無理やり押し込まれそうになる。

そんなのばっかりだ、、、

本気で勘弁してほしい。

自分が好きなものやご都合を押し付けられるのは、まっぴらごめんである。


理想は虫1匹入れない、

そんな大草原の小さな家。だ、、、、、

そんな中に略奪や搾取があれば、

もうホントに犯罪だと思う。

嫌がる全ては犯罪だ。

合意があるとこにプレイは存在する。

そんなもんだろう?


叶いますように。


ホントにこの時代は自分みたいなのには、

本当に本気で合わない。

困った問題である。