佐野元春さんを仮氏にして、
愛を超える応援を宮沢さんに。
なんてやっていたら、
なんだかご機嫌になってきた私。
そんな中で所ジャージさんの名言。
いい人にいいことを教えてあげる。
これがいいと、、、
なかなか人は変わらない。と、、、
私は夢想家だと自分でもよくわかっていて、
時には現実主義の方々に、
どーんと押しつぶされる。
そんな時に自分の現在までの歩みを冷静に振り返ると、そんなに夢の中でだけ歩いてもいないし、
奇跡のような瞬間だけを夢みて生きてきたわけでもない。だから今がある感じ。
仮氏、佐野元春さんの歌に、
勿論、昔の歌なのだけれど、
生活というウスノロ。という言葉がある。
私は是非とも夢想をおすすめしたい。
夢想、思想、は、
夢、目標と変わることと少し傾倒が異なるけれど、お皿を洗うこと、ゴミを捨てること、
洗濯をすること、仕事をしていくということ、
そんな中で時間に追われるだけの自分で、
いつのまにか、壁にぶつかっていたり、、、
こころに余裕がなくなるんだ、、、、、
私の場合、現在、事務職ということも手伝って、
年がら年中、夢想している。
例えば、仮氏佐野元春さんを本当に愛してしまったとしよう、、、、、
この恋ココロが大きくなったとしよう。
よくある形にはまる、抱き合う、寄り添う、
なんてのは、誰もがやってることで、
そういうのをぶっ超えた愛をずーっと抱きしめていられるのである。
え?抱き合えないと愛じゃなくて、
触れ合えないと愛じゃなくて、
恋愛の先にはいつも一緒にいないと我慢できない何かがあって、一緒に食事出来ないと恋愛じゃないの?誰が決めたの?
思い合えることが幸せで、
一方通行の愛が不幸せだって誰が決めたの?
私の家の周りでは最近ホトトギスが鳴いている。
朝っぱらから、
口笛でおはよう!と挨拶をする。
この年齢で大きく口笛を吹けるのは、
人が通っていない時だけれど、
とても気持ちいい。
カラスが沢山鳴くことと、一声、ふた声は、
意味が違うらしい。
カラスの言いたいことを想像する。
自然界と会話する。
あの雲はジョンレノンじゃないかしら?なんて、
私はいつもいつでも感じていたりする。
アメリカンの敬愛するシンガーに向けて、
空を指さして歌ってたりもする。
現実の中で、
生活というウスノロの中で、
それだけに潰されてしまう時は、
否応なくあるし、くる。
そうじゃない時、
私は思想の世界をぎゅっと抱きしめる。
いつも受動態の生活は、
慣れてしまうと本当に私には怖い。
ラジオのディスクジョッキー達の天気や生活のあれこれを耳で聞き流し、テレビの垂れ流しの情報を垂れ流し夜になれば眠って朝からまた情報を受け取るだけなんて、あまりにも、、な感じになってしまう。
私の場合、息子も独立して母も高齢なものだから、1人の時間は限りなく多い。
思想を恋人にしても問題はないだろう、
佐野元春を仮氏にしても問題はない。
宇宙と繋がっているなぁ。と、
感じることも沢山ある。
勿論、元カレアメリカンのように、
本当に非現実なラブライフをくれる人もいたりもするんだろうけれど、
なかなかその手の人は自分の周りにはいない。
アメリカンってだけでも非現実感、
尋常じゃなくて、しかもトゥクトゥクで家へやってくるんだから、私のような人間が、
夢中にならないわけがない。
金。ではないのだ、、、、私の場合、、、
虫と会話できるかもしれない。
自分が死んだあとは風になって、
世界をぶんぶん飛べるのかもしれない。
いい人達へ私はそっと言いたい。
目に見えるものだけが全てじゃないよ。と、、
仮氏佐野元春さんが素敵な人だから、
私はもっと素敵になれるように、
日々、フワフワに磨きをかけるのみである。
男はガッチリしっかりより、
フワフワな方が疲れは取れるそんなもんよ。