意思。が、

自分だけの内省に働いているか、


他者、もしくは世界、世の中に、

ボールをぶつけては、

跳ね返りをみる意思へ働いているか


そんなことを朝からぼんやり考える。


他人にぶつける意思の方が世の中多くて、

内省へ向かう意思は鬱にもなりやすいんだってさ。とは言え、病むなら病んでやろうじゃないか。と最近の私は考えている。


自分にぶつかる、意思はほとんど無視している。

私は意思をぶつけない。

そんな感じだ、最近は。


そんな時の思想は気晴らしに近い。


好きな日本のシンガー宮沢氏の、

遠隔マネージャーごっこをして遊んでいる。

こうでこうでこうでこうで、

利益はこの部門はあまり期待せずに、

ピュアーな湧き水、沸かしてもらいたいです。

もう少し書籍を工夫してほしい。


などと、遊んでいる。


お笑い部門は頑張っていただきたい。

音楽。は、足何本かあるセクションの隅っこでいいじゃないですか、、、


などと遊んでいる。


それはそうとも、


意思。の行方。が、

凛と自分、自分の内省だけに向かっている人を見ていると、本当に素晴らしくて、

ついていきたくなる。


他人のことをああだのこうだの、

ましてやネガティブな何かを放り投げてる人たちは、やっぱり残念だと感じてしまう。


そんなこんなの私は、

昨日は息子がプロポーズに成功しました。

との事で、


これからしなくちゃいけないこと、

やらなくちゃいけないこと、が、

バンバンと久しぶりに出てきて、

あれやこれやと脳みそが動く。


赤ん坊の時はうんちこぼしてた息子が、

かあさん、吐きそうと、

私にゲロを頭からかけた息子が、

ごめんなさいと泣きべそかいていた息子が、

スーパーのカートを車代わりにして遊んで叱られた息子が、

熱ビタシートしながら、はらまき赤ちゃんだった息子が、

一緒に灯油買いにリアカー押した息子が、


プロポーズである。


なんだか感慨深い。


私はあいつがいたから生きてこれた。とも言える。他の人間なんて、

ぶっちゃけどうでもよかった。


息子が結婚して所帯を持てば、

まぁ、ホントにいつ死んでもいいかな。

なんて思うほどだ。


暇だから、


宮沢氏の遠隔マネージャー脳で、

じーっと仕事見たり見なかったりしよっと。

マメじゃないから、

全部チェックなんて出来るわけがない。


絵画のお勉強もあまり最近ははかどらない。

眠くて眠くて仕方ないのだ。


私の今のところの目標は、


芸術。に近いものを、

ひたすらお勉強すること。


遠隔宮沢氏マネージャーで、

ジロリと活動を見守ること。


そのくらいだ。


意思。は、

やりたいこと、やるべきことが、

はっきりしている時の方が、

うんとしっかりする。


私の場合、ダラダラしながら、

苦しむタイプなので、

ちょっと長くかかりすぎた。


一切合切をリセットしたら、


とってもチープなものにも思える、

小さなYESが、天井へうつる。


そこへハシゴをかけている最近の私である、


関わりたくないものが多すぎる。

そんでもって、関わらせたくないものも多すぎる。


こんな世の中で、

オールオッケーと言える人って、

すごいなぁ。

そういう人達で時代は作られていく。

パレードのような、、何か華やかなもの。


私は本当に地味にそのこと、そのものを、

一切関わらないために、

だーれも見ていなくても、

本気で生活と思想から切ってもう随分経つ。


心の底から拒絶してるんだろう、、、、


そういう方々は眠らない街東京!

みたいで、凄いと思う。

頑張っていただきたい。


最近は、この人は表舞台で素晴らしく、

歴史に何か刻んだなぁ。なぁ。な方を思うことが多くて、残念ながら、今の時代でパッと浮かぶ方がいなくて寂しい気持ちになる。


筑紫哲也さん、坂本龍一さん、

美空ひばりさん、坂本九さん、石原裕次郎さん、

大杉漣さん、ジョンレノン、


なんだか亡くなった方々は、

とんでもなく重厚で、私の記憶で、

素晴らしい偉人になっている。


いなくて、寂しい。


せめて遠隔マネージャーごっこでもしながら、

1人くらい応援していたい感じである。