若い時からそうなのだけど、


立ってるだけで他人のことに詳しくなる。


あまり興味ないんだけどな。

これはどう返せばいいんだろう。


のようなことが、

ジャンジャン耳に入る現象に少しだけ弱っている。


今でこそ、友人のほとんどを切ってしまって、

せいぜい3人くらいしか付き合っていないというのに、それでも、凄い情報量だ。

男のこと、芸能ネタばかりの中で生きてきたように思う。私の場合はである。

それだから、おじさん達とばかりいたんだろう。

おじさん達といると、本当にほっとしてきた。

ありがとう。

若い季節それぞれに私といてくれた、おじさん達、、、、、感謝しかない。

転勤や色々な事情で、この人は素敵。なんて思える女性も勿論いたから、

そんなことだけでもありがたいと思える今日この頃だ。なんとなーく、あぁそうか、、、って、

感じの人達で、悪くないなぁこの感じ。な人間が、ちょこっといる。

それで充分なのだと思う。


合わないと自分が明らかに感じるもの全てと、

距離をおいている。音楽やエンターテイメントであってもだ。

こっちが絡まなければ、絡んでくることもないだろう、、一生懸命背中向けてる人間に、

はぁ?ババア!このくそ女!生きたまま焼かれろ!なんて追っかけてくる人がいたら、完全にクレージーだ。それは犯罪でしょうか?

捕まらないからって、犯罪ってあると思いますよ。なんて言ってあげたくなるくらいに。


よーく自分のことが見えてくる最近だと思う。

今更、自分探しなんてするわけもないから、

諦めた。


私は合う人間がいないんだ、本当は。

合わせることで、かろうじて何人か知人がいる程度の話。きれいさっぱり諦めたら、

なんだかスッキリした最近である。


あとは、関わらず、そして関わらせず。

を最大級に努力するだけのこと。



業界で働いている時は、

はっきり言って、地獄だった。

芸能人の出入りしてるところ紹介しろだの、

あれやこれやと、

興味がとってもあります。なキラキラした瞳たちが、よだれ垂らして話しかけてくる感じ。

時間が空けば、男の話だらけ。


健全なのは周りだ。

芸能人のあれこれに興味津々なのも健全。

男に興味津々なのも健全。


私が変わっていただけの話で、

今もそうなんだから諦めた、、、とうに、、、


そして、最近は

『ひょっとして、男の話、スキャンダル、ゴシップ、芸能ネタくらいしか、この女とは話せないだろ、頭悪そうだしなぁ』って、

周りの友人達が合わせてくれていたとか?


はぁ、、もう目が回る。


なので、もう関わることも最小限、共に楽しめる時間だけ楽しめるコンサートのようなちょこっとの関係だけでいいや。

が、最低限の人数、、、というオチである。


今は芸術的なものをどれだけちゃんと抱えることが出来るか、そんなことしか考えていない。

見ない、聴かない、接点は最小限に。


昔の知人達が大きなパレードのようなものなら、

この国の大きな光は、そこで進んでいけばいい。

本当に心からそう思う。

浮世に浮かぶものに食らいついていく人達で、

ムーブメントは起きるものだ。


私のような頑固な芸術好きは、

そこへは絶対に入らないし、

大切にしたい水源なんて、言ってみりゃ、

とても地味。そんなものを大切にしたい。


私だけは絶対にそこには入らない。

みなさん頑張ってー!である。

芸術。に似た匂いほ細い細い水源を抱えてたい。

そこに流れてる魚たちが、

どれだけ、不埒でも犯罪者でも病んでる人でも、

ゴッホ達と一緒だから、

はっきり言って、私にはそこに興味がない。

佐野さんが乱行パーティーなんて記事か出ても、

あんまり興味ない。

作品がよければいいのだ。


それにしても業界やめてもこんな世の中なんだから、そりゃ当然だよな、、、と、

いつも思う。ネットのあれこれ眺めてるだけで、

もうお腹いっぱいだ。


かわいいかわいい奥様をしている知人は、

まぁまぁのミーハーさんなので、

スポーツ選手、芸能人の色々に、

本当に詳しい。


仕事中に、この人テレビ出てました!

などとラインがくると、

好きだもんなぁ、、、こういうの。


と、ちょっとだけ対応が困る無邪気ライン。

でも、かわいらしい奥様なので、

まぁいいかぁ。と1人だけなら受け流せる。

女の子って普通こうなんだろうな、、、と、

時々、落ち込んできた。

こんな年齢なのに、そんな思い出の方が多い。



この感じが若い時は、彼女✖️10人と換算すると、申し訳ないけれど、

死ぬほど疲れた。

はっきり言って、私はそのことについて人と話したいほどの熱量がないのだ。

それは若い時から。


あの芸能人、枕女がいるの。

あのギタリストと寝たんだって!⭕️⭕️ちゃん。

この人こうらしい。

この人テレビ出ててさぁ、、、


芸能人って、良くも悪くも人気あるよね、、、

ネタ。から、

その仕事そのものに興味もってもらえて、

お金使ってもらえたら本当はいいんだろうに、

今のところ、

ただの暇つぶしのネタで終わる景色の方が多い。

まぁそんなもんなんだろう。


私から見えるその景色は、


まるで蝶々の嵐だ。


あの人知ってる、あんなことあった人達!

の次にくる、興味の行方が、

どうかポジティブなところへ落ちますように。


なんて言っている私は、


日本のものは、佐野元春さんと宮沢さんしか、

もう2度と聴きたくない病のまま、

もう相当な月日がたってしまった。

これはもう変えない。

このお二人がめちゃめちゃスキャンダルまみれに例えなったとしても作品を味わいたい。


他の音楽は日本人のものはいらないのである。

どうにもこうにも面倒くさい。

日本の音楽がもう仕事の時の音源にしか感じられなくなって、言葉が入ってこなくなったのは、

もう変わらないんだろう、、、、


世の中に2度殴られたらそりゃそうなる。

本人がそう感じたものは、

どうであれ現実なんだと私は思う。


最近は、


私の耳がこれじゃ可哀想だ、、、


有名人のゴシップ、

身の回りのゴタゴタしたノイズ、

歌を聴こうとすれば

殴っただの焼かれろだの、

作品とはいえ、好みじゃない言葉も沢山。


パレードは、

彼女のような、どちらかといえば、

ミーハー精神がかわいらしく光る方々だけで、

やっていただきたい、

そんな気分。

それに、紙風船飛ばしっこゲームはムーブメントを作るはず。

あれやこれやの噂話が好きな人間達。

他人の影踏みが好きな人間達。

文春も含めて、軽い使い捨てのようなものを、

紙風船バレーのようにして、

この国のエンターテイメントは進んでいくんだろう、、、金の恐ろしさとはそういうもんだ。

本質もクオリティも見失う。


日本は佐野元春と宮沢さんだけで、

はっきり言って充分だけれど、

彼らが金儲けのパレードに喜び勇んで入っている場所だけ、除外して応援することも出来るから、

2人だけという少ない人数はとても便利だ。

私の場合は。

入らないような気もするけど、他人だからわからない。



私だけは2度と影は踏ませない!

踏んでたら犯罪だろ、、、と、

いつも言いたい。


色々なものや人にさようならをしている。



あまりに自分の耳が可哀想なので


ギターやチェロだけのコンサートのチケットを買う、楽器の音色はいい。


基本的には芸術的。という縛りで、

これからは、他の一切を切ろうと、

庭師のような最近の私である。


お庭は自分好みに。


大切なことだ。


それにしても、絵画、本、芸能人じゃなくて音楽、動物。

自分の好きなものと話があった人なんて、

50数年生きてきて、1人か2人。程度。

一般社会で働きはじめて、こんなにも音楽って、

意味がないんだ、、と思い知った感覚と似てる。


芸術、芸能人ではない音楽、本、文学、、、

びっくりするほど、私の周りには、

浸透していない。賢い人達であってもだ。

なんでなんだろう、、、、、


私の行動範囲の狭さからなのか?

まぁまぁ広かったぞ、つい最近までは。


人間関係って難しい。

合わせることで保ってきた自分が悪いのね、、

なんて、ちゃんと諦めて、

芸術の水源作りに励む日々、、、


なんとも寂しい感じだけれど、

その畑の人達はホント頑張ってほしい、、、


今の祈りは、

亡くなった父が、私が嫌だ嫌だと本当に思った事柄を、空から、やめさせてくれること。

そんな祈りしかない。


パレードはそんな浮き足すら軽快な人たちで、

私とは無関係に進んでいけばいいし、

もう誰にも搾取されたくない、この人生を。

お見守りもごめんである。


死んでしまった父親だけは、

きっとわかってくれると信じて生きている。


居場所がないなぁ。とは実は思っていなくて、

ガガ、マドンナ、エルトンジョン、

日本の音楽はともかく、

田口ランディさん、作家の言葉。

そして何より私はオノヨーコを愛しすぎてしまった。だからなんだか大丈夫なんだ。


魂の断片を愛せるものがあれば、

例え、居場所がなくても、

生きていける。


そこだけは、はっきりわかる。


この国の蝶々の嵐たちは、

どこへ向かうんだろう、、、、、


私はそれを追う気持ちすらもうない。


殺してやるとシャウトする音楽に楽しめるのもオーディエンス。ただのつくりものだ。

そして私のように不愉快だから、

2度と触らない、触らせない。

その一切と距離をおく。

それだって、1つの音楽を愛する人間の選択。


そんなものを落として、そんな乱暴な嘘だらけのものを吸い込んで、ひとときのストレス解消。に、この人生を飲み込ませるわけにはいかない。

愛も暴力も嘘も、全て、ただのつくりもの。

だとするなら、

あの人達はやっぱり金だけの為に生きていくんだろう、、、、、


なんの励ましにもならない。

なんの糧にもならない。

音楽業界にいた以上、本当の感想しか言いたくない。


ストレス解消であるぬいぐるみの生き方を、

選んで金まみれになりたがってる連中だって、

きっと目をこらして見れば、

人生があるんだ、、、

そして、一般の人間たちは言う。

そんなものはただの商売だ、つくりものだ!

愛なんてない!

暴力もない!


おまえたちに何がわかる?


おまえたちもそしてその世界も、

私は一切関わらない、関わらせない。


あなたがあれは嘘、あれはただの商品、

あれは金儲け、、そういう石を投げたとして、

もしも吐くような気持ちで作った本人が、

自殺したら責任とれるの?


人の自殺も野次馬でつつくか?


私はあなた達ごと、触らないし、触らせない。


日本は2つだけだ、、、この人生で愛していくリズムと言葉は。概念は。価値観は。


一切を切れの圧力は当時もあった。

だからおおよそ読めている。

またくるな、、、宮沢さんを聴くことは、

いつだって私にはリスクだ。


私は2度と離さないと決めた以上は、

2つのみ!聴かせていただく。


他の人達は、ファン、野次馬、軽く流れるさまざたなパレードの中で、

一緒に飛べばいい。


私はもう全く興味がなくなってしまった。

そんな世界から抱きしめられればいい。

それが業界なのだと思う。

使い捨てと使い捨ての感情と本当のファン達で、

どうにかこうにか生きていく。

それだけのことだ。


私は2度と近づかない。


思いやりがあるから触らないということがある。

私は見抜いてしまった。

そこに思いやり、愛とは言わないけれど、

命への愛がないからこそ出来たこと。


犯罪の種がそのに落ちていたことで、

命への愛がないからこそ、

出来た色々なこと。


その事実に悲しむではなく、

人間を知ることが出来た、その全てに感謝して、

手をふる。


言ってみれば、私は過去の友人達からも今の友人にも会社の人間からも音楽からも、

一つとして愛されていなかったことを、

十二分に理解したんだ。2度あったことで。

あー、、誰からも本当の意味では、

命として心として愛されてはいなかったか、、、

私の心さえ自由に飛ぶ、その羽をいちいち殺されている、、、、


それは愛ではないな、、、

嫌になるほど理解した。


優しいと感じた音楽が佐野さんと宮沢さんだけだった、それだけのことなんだ。

たまたまとはいえ、有難かった。


私の心は自由でいいと、

この2人の創作家は言ってくれてる、

そんな気持ちになれた。

まぁ有名人なので会うことは本当にない。



残念ながら他の人間にはそれを一切感じないんだ、、、


本当の犯罪者は原爆の開発者ではなく、

それをあらゆることに利用した人間たちだと、

何故気がつかない。



2度と関わらない、関わらせないとずっと呟きながら。


私は1人で生きていくし、そのことを利用させるつもりはない。

1人でいれば利用できる。それは誰であれ、

二度とさせない。誰の暇つぶしにもならない。



自分の今の望みは、


ただただ亡くなった父が、

どうか守ってくれますように。

本当に不愉快だった全てを壊してくれますように。


そう祈り続けている。


作家の人で崇拝していた人がいたこと。

絵画の世界を愛していたこと。

今はそういう類の人は周りにはいないけれど、

ドイツへ絵のために留学した先輩がいたこと、

過去可愛がってくれたおじさん達がいたこと、

凛としていた女性達とも何人かは出会えてきたこと、、、、


その過去の記憶の全てが今の私を支えている。