この国この町からすっかり気持ちが離れてしまって、もう随分経つ。

日本の芸術家だなぁ。と思う佐野元春さんや宮沢和史さんでさえ、他の国の人な感覚。


私は知人を極力少なくした。

年々、それは強くなっていって、

今はごく僅かの人間と浅い浅い付き合い。


こんなに少なくしているのに、

どうしてこうも『人の噂話』ばかり耳に入ってくるんだろう‥‥‥芸能人のゴシップ、知っている人間のどうのこうの。


これは学生時代から私の場合、ずっとそうだ。 もっと言えば、中学生の時からずっとそうだ。


あの人がこうだって。この人がこうだって。

男がいるからプールに行こうよ。

あの芸能人不細工じゃん。


全く興味がない私は、いつも、生きづらいなぁ。

そんなことばかり。


どういうわけだか、めちゃめちゃ情報通だ。

座っているのに、ジャンジャン人のプライベートに詳しくなっていく。正直怖い。

そこまで、私に報告したいのか、

私に知って欲しい情報なのか、

ただ単に誰かと話したいのか、

さっぱりわからないままに、若いうちからの、この情報通度数が怖くて仕方ない。


最近でこそ、適当に合わせる術を身につけたけれど、ずっとなんてとんでもない話だ。

出来ればウルトラマンのように3分程度で良い。

プライベートな時間にそれをぶっこまれると、

若干、不愉快だ。


ヌートピアはジョンとYOKOの作った平和への思いの強い国だ。


例えば、現実社会でこの2人が作った国が仮にあったとして、みんな、こんなに噂話ばかりするんだろうか。

あの人がどうの、この人がどうの、

あの芸能人がどうの、あいつはこうだ、、、

こいつはこうだ、、、

戦争。まではいかなくとも、

ちっこい戦争なんて吐くほどある世界。


出来ないだろうな。と、

私はすっかりヌートピア国民だ。


嫌いな奴は嫌いなままで心から追い出す。

それだけだ。


誰もみな、他人のことくらいしか話したいことがないんだと気付く。

誰であってもだ。

最近の歌だって、他人のこと言いたい人てんこ盛り。みんな他人のことくらいしか共有したいことがないんだろうか。

特別な関係ではない限りは、他人の話が一番手っ取り早いからなんだろうなぁ。


私がカラーにとても今心惹かれていることも、

私が絵画たちとその画家の人生に心惹かれていることも、私がメロディ達に心奪われていることも、私が言葉。の意味について思想が巡ることも、星空が毎日違うことも、人工衛星なのかUFOなのかわからない光の正体に興味津々なのも、

マチスの教会のデザインがイカしてることも、

食べ物の形態が大きくなりすぎて、クレープの生クリームの量で競う世の中ってどうなんだろ。

なんて疑問持ってることも、谷川俊太郎さんや藤城清治さんやオノヨーコさんが超高齢者なのに素晴らしい仕事をされている素晴らしさも、

ノルウェー文学の書籍が意外と高かったことも、

ぶっちゃけ、誰かと共有出来る気がしない。



人々の噂話の前では、私の興味の対象なんて、

あまりにも実体がなく、

そして無意味だ。


私自身が他人の優劣の劣に力を注いで生きたいと思っていないからなんだろう。

世の中には素晴らしい人の光がうんとあるから、

そっちを考えていたい。その欲が強いからなんだろう、、、


私達はあの人この人その人あの芸能人、

そんな人達の噂話を広げていくことで、

自分たちは、安全な場所へ行きたい、

それを本能的に常識という安全地帯へと。

距離をはかっていく。

真冬に半袖で飲み屋街を歩いていた男が好きだった。おかしくない?なんて言われがちな人だ。

高級車が光り輝くこの町でトゥクトゥク乗り回してた男が好きだった。

安全地帯なんて知らない男にしか惚れないように出来ているんだろう、、、たぶん、、、

総じて言えるのは、惚れた男達は、

噂話というものに一切参加しない、出来ないタチだったことだ。


それでも、ネズミ達の寝床は安全であるべきだ。


そしてそれも一つの平和への象徴だ。


ヌートピアは、自由と平和と芸術の国。


あの人も遊びにくるだろうか。

私が心惹かれたあの人達も遊びにくるだろうか。


白いハンカチーフをねずみたちにふりながら。

我々のことはなんとでも言ってください。と、

平和への降伏をしながら。