オノ・ヨーコさんが、アメリカ文化・芸術に貢献した芸術家に贈られるエドワード・マクダウェル・メダルを獲ったとのニュース。
私は彼女の事が実はジョンレノンよりも好きなので、こんなニュースがとても嬉しくて、
そして周りの誰もオノヨーコのファンがいないものだから、1人でホロロンと喜んでいる。
彼女は現在91歳。
日本では今からジョンレノンとその愛人との映画がはじまる。そんなニュースに1人で怒っていた。なにも今、そんなのすることないじゃん!
もうYOKOちゃん91歳よ!
今更、愛人とのストーリーに光当てるくらいなら、ジョンとYOKOの物語にしてくれる?
と、怒っていた。YOKOちゃんファンだから、
まぁまぁ熱い。
でも、そんなものより素敵な賞。
彼女の人生がまるごと肯定されたようなその賞。
芸術への卓越した生涯貢献に対して。なんてタイトルがまた痺れる。
とっても凡人な私は、
オノヨーコの魂をコピーしたい。と考えていて、
ヌートピア国民だ。
日本人ではない。ヌートピア国民と本当に思っている。
平和への降伏。
世の中は争いごとが多い。
奪い合うものが例えば国の利権なら、
いらないものであるなら、白旗をふっていく。
仕事や営業成績ならそりゃ頑張るけれど、
そうではないから、
私は頭にいつもどこか白旗を突き刺している。
あなたがそれを欲しいのならどうぞ。
よほどのものじゃない限り、
必要だと思うものなんてあるだろうか。
私が手をひいたからといっても、
奪い合うものはあとをたたないんだろうな。
オノヨーコの世界観は、
展覧会を見たことのある人ならご存知の通り、
心の中に落とし込める世界観だ。
トイレのアートも、散らかったゴミだらけの床も、棺桶から樹木が伸びているアートも、
天井の小さなイエスも、
全て、自分の心に問いかけることの出来る景色。
その作業を自分がすることで、
私は平和だ。
何を言われようと、白旗突き刺している自分であっても、そのアートが心に想起できる余裕さえあれば、瞬く間に平和的でポツンと立っていける。
例えゴミゴミした群衆の争いにも似た景色の中に身を置いていても、彼女のアートの世界観は、
私を、1人にしてくれる。
舞い上がる紙切れ達の中に、
飛び上がらずに光る紙切れにしてくれる。
私はオノヨーコさんのような思想を、
チロリと受け継ぎたいんだ、きっと。
けれど、それだけだとなかなか到達しないから、
(自分の周りにはそこまで立派な人はいないから、どうしても、悪口軽口などなどの軽石で構成されていく)
レディガガとかも入れている。
こんな風でありたいな。が、
YOKOちゃんだけじゃなかなか難しいのだ。
たまにガガのように吠えていたい。
アートは人の心を補正してくれる。
まるで朝顔の支柱のように。
そのままじゃ、ダランと広がってしまうだけに、
ダランと広がった朝顔で、
人の悪いとこだの、スキャンダルだのだけに食らいつく、そんな花に私はなりたくはない。
私には支柱が必要。
芸術家たちは自らが支柱でいられるのであれば、
その力を借りたい。
そんな風に感じることの方が多い。
なにはともあれ、
YOKO ONOは、
その人生全てが芸術だ。
彼女が受賞したニュースなんて、
この国じゃ、新しいパン屋さんがオーブンしました、東京では大行列。
なんてこの国のトピックスニュースに負けてはいるけれど、その光の影に、
なんと素晴らしいトピックス。
私はそんなものを見つけたくて、
毎日毎日、目を耳をすましている。