観覧車に乗った時


確かに私は感じたはず。


空に近くなって、


空は美しくて、


あのてっぺんに行ったら、


きっときっと地上の景色は美しいと。


はぁ。


空に近くなったからって、


地上が美しいと呟いたって、


なんだか悲しみばっかり見えるのは何故だ


空には鳥達の嘆きのさえずり


地上には幼子がアイスクリームを落としたとべそかいてる


若い季節は頂上へ行ったらキスしようね


それだけだった観覧車


空の嘆きも 鳥の嘆きも 太陽の嘆きも


子供らのなきべそも 母親の疲れた顔も


ベンチで肩を落としてるサラリーマンも


見えてしまうのは何故なんだろう


この観覧車が例えば心救うマシンなら


私は迷わずインビテーションカードを


全ての人にばら撒くだろう


それは偽善ではなく


それは体裁ではなく


それは陶酔ではなく


私達の人生の旅は思いの外、


短いということ


その夕暮れ時の人生の影を


私はもう知っているということ


観覧車は1つ1つの魂のために、


1つ1つが、少しだけ音を立てながら


回り続けている


どれだけの美しい景色を


この人生で見ることができるかを試しているように


同じ速度で  同じ音を立てながら


私の観覧車はいま地上から、


どれほどの高さにいるんだろう