断捨離中である。

心の断捨離とも言う。


好きだった音楽が悲しみのどん底の時に流れていて、2度と聴きたくないと感じるその感じと似てる。とにかく忘れたいともがいた時間。


私は人生の中で同じ痛みを2度経験した。

一度目の痛みが完治したのは、

15年くらいかかったと思う。

その時は神経内科で投薬治療しながら専門の資格保持者の医療従事者に頼りながら、

どうにかこうにか15年で完治した。

2度目は捨てるもののジャッジが早く出来た。

何がいらないものか、経験から分かっていたので、これとこれとこれを切れば、

おそらく大丈夫だろうと判断していたけれど、

なんだかんだで3年くらいかかってしまった。

15年かかった痛みだ。3年でここまで治ったのは、経験からくるんだろう。

ズルズルとすがるような歩き方をしていたら、

絶対にもっと病む。

そのことを経験からわかっているのである。


今日、偶然、息子が小さい時に保護者会で一緒だった奥さんと出会う。


息子が小さい頃、彼女の旦那さんは首吊り自殺をした。ブラスバンドで同じ保護者会だった私たちは、息子達が埼玉で大きな大会があった時、

同室で泊まる、その夜、

3人部屋で3人の母親は泣いた。

ビールを飲みながら、泣いた。

やるせない悲しさだらけで、その中で子供は頑張っていて、そんな話をしているうちに、

泣けて泣けて仕方なくて、

母、泣いた日。の思い出である。


今日、彼女と世間話をしている中、

このままじゃ自殺してしまうとか思ってさ。

なんて言葉に、無意識にその単語を口に出来ない自分がいる。

どれだけの傷だったろう、、が、深く刻まれすぎて、言葉が見つからない。

彼女の色々を知っていることをほっとした。

『ほんと、そんなんで首でも吊られたらたまんないですよね』知らなかったら、私はそれを口にしていたかもしれない。


私の2度目の痛みは例えばそんな感じだ。


しゃぼん玉として空へ流していたものを、

手元に、ほーら。なんてされると、

あっけなく壊れたしまって、

もう2度とは復活することはない。


仮に作り笑いか、程のいい別れ方を出来たとしても、もうこころは元には戻れないのである。


なぜ、そこを触った、、、


そんな自分がもう2度とは消えない。

恨むことでもなく、

嘆くでもなく、

心がもう拒絶してしまうんだ、否応なく。


一度目の痛みで、

おそらく自分同様に傷を負った人だけ、

大切にしたい。そう思った。

そのことが、どういう方向で傷を負ったのかは、

私には知る由もないし、

知りたいとも思わないけれど、

確かにしんどかっただろうなぁ。

そう感じた人だけは、何故だか応援したくなった。


人生には、ゲームのリセットボタンなんかじゃ通用しないドクドクと血を流す感情がある。


えー?なんで?

終わり!終わりのボタン押してるのに!

なんで元に戻らないの?

えーもう一回押してみる?


そんなわけにはいかないのである。

どうしても。


母親が3人で泣き明かした夜のせつなさも、

吐くほど泣きながら歩いた人生も、

何もわからない人間は、

今の私。に影はないと思ってしまう。

どんな影なの?なんて失礼にも程がある。

どんな賢人であっても私は軽蔑してもう2度と話したくないと感じてしまう。


そのことを知らない人達が多すぎる。

リセットボタン押せばどうにかなる。

そう思っている人間があまりにも多い。

現代病かなにかなんだろうか。

人の心が理解出来ない精神疾患もあると聞く。


申し訳ないけれど、そういう類の人を相手にしているほどに私の人生の時間は長くはない。


わからない人もいるのなら、

はっきり言って差し上げたいが、

人生の時間には限りがあるのである。


復活しないものが、

自分が一番わかっているので、

ひとさまの復活しない痛みの連続だけは、

なるべく避けたい。


なので、私は知人の類は最小限にしている。


このことを言ったら傷つくだろうな。

それがわかっている人達数人と関わっているだけだ。


それでもわたしは生きていかないといけない。


2度と復活しないもの。を、

遠くへ遠くへ追いやって、

人生とは無くしていくこと。


その意味を理解していかなければいけない。


そう。


人生は無くしていくものだ。


若さも気力も野心も欲望も、

本来は無くしていくもの。

それが、私の場合は、

人より少し早かっただけのことだ。


普通は70歳くらいで感じていくソレが、

50代中盤でやってきた。

ありがたいことじゃないか。


この調子でいくと、

今の自分の体力気力に見合うものを、

きっと拾っていける。


早めの断捨離である。

なくすばかりではなく、

私は確実に新しいものをポケットへ詰めていっている。年相応といったら情け無いけれど、

年齢相応の知識人たちの言葉や、

年齢相応の思想を持つ方々の言葉を、

私は詰めなおしている。

油断すると、パンパンになりそうだから、

ほんの少しずつ、ポケットへ入れている。


かわいらしい子供達のような無垢な人々が、

えーボタン押してるのに!

リセットだよ!えー!なに?赤いの押せばなおるの?なんで?なんで?

ボタン押してるのに。


あなた達は、他でゲームをしなさい。


一つ言えることは、


世の中には2度と戻らない、そんなものもあるということ。


大切な思い出がある骨董を壊してしまえば、

その持ち主は思い出ごと壊されたと、

あなたとは口なんてきいてくれなくなる。

そんな感じのこと。


じっと耐えて耐えてあなたの言葉を受け止めていた人が、ある日突然、あなたの言葉を浴びることに疲れてしまって去ってしまうということ。


えー!なんで?ボタン押してるのに!

リセットボタン!赤いの?青いの?

えーどっちも押してみるからさー!


そんなものはないのである。

世の中には。


私は私の新しいポケットを大切に歩いていく。


壊さないように。

あなたたちが大切だよ。そう言いながら。

そっとそっと。

丁寧に扱いながら。


ゲームのリセットボタンでどうにかなると信じている方々は、それすら、また壊そうと頑張るのだとしたら、私が昨日テレビでみた、

あの国のミサイルってところか、、、、


人殺し。という言葉が、脳裏をよぎった。