実際に 新造船業務に 携わって 最も 自分に 必要なこと だと 思われたのは

 

 

図面を CAD で 自由自在に 操れること だと 痛感していた

 

 

中国にいて 日本からの 図面 変更 連絡など CAD を 操作できずして

 

具体的に 役に立たない   紙の図面は もちろん ほとんど 理解できるが

 

 

舶用 CAD  具体例 の 一部 を示す

 

  LINES

  ENG PIPE

 NK規則 も

 基本図 なども

 

 

基本計画図 船殻 船装 機関 電気 全ての 分野 で 活用されている CAD

 

 

現在は 勿論 三次元CAD 有限要素法強度解析 あらゆるものが 電子化されて

 

実際の 工事が 円滑に 進むように 利用されている

 

 

 

私は 50代で 初めて 個人用の パソコン が与えられ ワード エクセルから

 

その後 エクセルでの 図の表現

 

60代になって   CADの 必要性が   身に降りかかってきた

 

造船コンサル PEDRA    を 進めて 生きてゆくためには   必需

 

 

AUTOCAD の 全ては無理としても 受信 送信 拡大縮小 傾斜 反転

 

一部修正 印刷 PDF化

 

などは 絶対に 必要と 伝手で インストール して 一生懸命 勉強した

 

 

   テキスト 購入して 実践

 

ほとんど 独学で 勉強 実践した   不明なことは 誰かに聞くしかない

 

 

広島に AZ エーゼット という 船舶設計事務所を 経営している 広大船 の

 

39年卒 3年先輩の  菊池社長に面会して 事情を話し  協力していただいた

 

 

宇品造船 計画 出身で 20人以上の メンバーが AUTOCAD を 駆使して

 

各地の 造船所の 図面製作 等に 携わり   働いていた

 

 

はじめは 金銭 ぬきで   CADを 聞いていた  

 

 

私の 姿勢を 見ていたのだと思う

 

 

 

この 菊池社長 から 「熊本 に ゆかないか・・・」 という ことが出た

 

 

熊 本 

 

このことば からは 一瞬 有明工場 と  五木村からの 連中 のことが 

頭に 浮かんだ

 

 

 有明工場

 

建設時に プロジェクトチーム に 入り 細部の 検討に携わった

 

何度も 入り メンバーも 記憶にあった    建造法 熟知

 

 

 

もうひとつが 五木村 からの 連中

 

 五木村

 

有明 建設時 何年にもわたり 五木村 周辺の 高等学校

の 卒業生を  大量に 採用した

 

 

因島でも 多数の 人たちを 協和寮(500人収容)青葉寮

などなど へ入れて 職種訓練

 

 

生名島の 訓練校で 一年 座学 と 実習 その後

職場配属  この 熊本 五木村 周辺の 出身者は

みな 朴訥とした 素直な よい 男たち だった

 

私が 直接 訓練校で 座学した 後 現場で 指導した

 

男たちは 内業 外業 取付 溶接 足場 などなど

 

各職場で  一人前に 班長になるなど 成長していた

 

 

そこへ 「因島 新造船事業 廃止」 の 経営決定

 

 

先述の通り 私は 船殻課 800人の 行く先を 調整

 

この熊本からの  多くの 人間が  三十代半ば 

 

十数年 経験  既婚  有明に帰らず 

 

因島で という  のが 相当いた  こういう男たち

 

 

と 残念ながら  別れた    これが 五木村 の意味

 

 

自然と 「行ってみよう」 という 気持ちが 

 

こころから わきあがった   熊本 への つぐない

 

 

 

それが 天草地域 三角沖  戸馳島(とばせじま)の

 

 篠崎造船 (しのざき)  だった

 

 

 

2024.06.30   pedra - oishi