怒涛 の 荒波を なんとか 乗り越えた先に 待ってい
たのは 揚子江 Yanzgi jiang
居住家 子供 家族を安定させ 両親にも 折々 援助できるようにし
憂いなく 自由に 台湾 シンガポール を 周遊 見聞
海と船 は 世界から 必要とされていることを 体感
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大きく 過ぎ 越した 道 を 振り返ると (日立造船100年史から)
原油高騰 海洋開発 進出 HZ 最初の ジャッキアオイルリグリグ 建造担当
ブラジル CCN マウア 造船所 技術協力 参加
技術輸出
次いで 中国 大連造船所への 技術協力 参画
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曲折の末 一時 造船 を 遠望
そして まわり道 して ふたたび
造船 ぞうせん に 自由に 誰に遠慮もいらず かえってきた
Zaochuan ツォウチュアン 中国語
チョーソン 韓国
SHIP BUILDING 英米
CONSTRUCAO NAVAL ポルトガル語
CONSTRUZINI NAVALI 伊
SCHIFFBAU 独
SCHEEPSBOUUW 蘭
人生 思いとは 異なる方向に 向かうが 志(こころざし) あらば
自在に 舵を切り 進路は もとに戻る
この後 十数年 自在の 「造船 コンサル PEDRA」
はじめから コンサル とは 感じていなかったが 次第に 世の中から 求められ
そのような方向になっていった
PEDRA というのは ポルトガル語で 「石 stone」
ブラジル時代 OISHI は
O(定冠詞) ISHI アジア系からは 「(食物が)おいしい」と 伝わり
ブラジル人 からは キリストの 弟子名 PEDRO ペドロ と 呼ばれることが
多くあったが 恐れ多く PEDRA と 自己紹介 し 呼称 固定化
今 頭に ある PEDRA での 実施項目は 以下の通り 過去を精査すれば
変わることは 十分 ありうる 頭に浮かぶものを 詳述してゆく
活動実施 項目
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造船コンサル PEDRA として 次第に 考えが 固まってきた
ものを以下に示す
誰に 遠慮もいらない 自由の 天与の 仕事
思いっきり 立ち向かっていった
2024.06.24 pedra-oishi