蔭山さんの 心の中には いつも 夢があったのではないか

 

「夢がなければ 始まらない」     よく言われていた

 

 

 

 

蔭山さんが 仰っていた  RV の 大きな 航海歴

 

 

沖縄 海洋博 の 時の  ハワイー沖縄 レース

 

日本 一周航海 (休暇 休暇 に) 冬の 津軽海峡

 

そして

 

SAIL OSAKA  ’97   鹿児島ー大阪 帆船レース

 

 

大隅半島 沖 スタート  上左 が  RV

 

 

 

このレースに出場するにあたり 蔭山さんから相談があった

 

私は 以下の 点を 提唱し 実施した

 

外板は  パテを除去して 板厚計測  2.7mm 以下は 切り替え

 

 

これは 大変な 作業だったが  外洋へでる 船齢を数えた船 の宿命

 

  造船屋の常識   船の外板は 一年に 0.1mmずつ 摩耗減少

 

その他は 一般的な 維持管理 メンテ 作業実施

 

 

坂井健典君は 非破壊検査会社   精密 板厚計測機 保持

 

 

私の 指示する 工事を 完璧に 実行してくれた

 

 

 

工事完了時の  なおらい   みんなで 打ち上げ

 

 

左から 蔭山さん 毛利君(RV) 小生 船体業者 坂井君 野田山 舛田 博君

 

 

野田山は 平成塗装の社長  日立造船の班長時代 からの 古い付き合い

塗装は 完璧にやってくれた

 

舛田博君  因島工場から 彼の ヨット 修理ヤードに 変えていた

彼とも 因島工場時代からの 古い付き合い で 立派に 工事監理を施工

 

 

 

工事完了  が 仕切ってくれた

 

 

工事費用は かかったが  蔭山さんの 配慮の元   皆 納得

 

こうして SAIL OSAKA ’97 は 無事 105時間 で フィニッシュ

 

 

 

 

このレースに同乗した全員に 蔭山さんから 印象記 短文が 求められ

 

小生は 下記を 提出

 

 

 

 

今でも 思い出すが  アメリカズカップ 日本代表 スキッパー 南波誠氏 落水

 

あの夜の 台風一号による 強烈な 北西風   ワッチ時の 深夜

 

確かに RV は 空を 切った  

 

 

 

 

蔭山さんとは 折々 大阪に 転勤されるまで RV を 通じて お会いしていた

 

 

 

因島 三庄 小用桟橋  

 

私の 関係者 と RV 蔭山さん

 

 川渕君

 

 大西君

 

 丸尾君

 

体調を崩していた坂井君

 

 

 

蔭山さんは ある時  私に

 

 

Q 「・・・今まで 何組の 仲人をしましたか・・・」

 

A 「 10組 には いっていません  蔭山さんは ? 」

 

 「 さあ・・30 は 越えているでしょう・・

 

 

 

男の 魅力 とは ひきつける  ハート か  ちから か 

 

夢を 持ち続けることか

 

 

 

  大和 を 見に行こうと 誘われて

 

 

 

 

和歌山  下津 へ 回航して   RV  とは  別れた

 

 

 

2024.06.11       pedra-oishi