新会社 の 事業内容  経過 は 別途示す

 

 

船 以外の 仕事で 生きるのは 難しいことだった

 

 

船を造ること 以外は  手も足も 出なかった

 

造船 以外で  多くの ひとに  一度に 生きる道を つくるのは 厳しい

 

 

そうした 模索の中 出会った   二人の ひと  について

 

 

 

ここでは 林先生 と 中本 至 下水道部長 との ことを 記す

 

 

 中本 至 建設省 下水道部長 (当時)

 

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まず 林 喜代茂 (はやし きよしげ) 先生のこと  石油化学の専門家 

 

(写真 なし)

 

東京で 叔父 小笠原市男弁護士 (母の 弟)に 相談して 林先生を紹介された

先生は 大三島の宗方 の 縁者であった

 

東京 柿の木坂の お住まいに 伺って 相談   事業化の指導 を受けた

 

 林先生の 著作本

 学会内の先生

 

 

先生は 明快で  アンチ 付着生物 重防食塗装  を 提案された

 

数多くの 事業を実施されて きており 具体的であった

 

 

私が 造船屋 であることを 考慮の上であった

 

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付着生物 は 海 海水中(主 甲殻類) と 陸上 清水中(主  千種あり) 

 

に 生存し 様々な 生産活動を 阻害する

 

 

例えば 海では 船の船底につく 付着生物は カキ、藤壺、など  多くあり

 

これらの 幼生は 三つの腕から セメントと 同等のものを 分泌 して 壁面に

付着して 成長することは わかっていた

 

船の 船底に 塗布する AF(Anti Fauling)という 塗料は それまで 有機スズが 有用であったが  発がん性があることで 国際的に禁止され 塗料メーカー各社  平滑性を 上げて 幼生の 足が 固定できなくするような 方法で開発されていた 銅も 一部 利用されていた

 

一方 清水中の は NPK (窒素 リン カリウム)などの 成分と 光合成で

成長する  約 1000種類 生存している  

 

同じように 付着する藻も触角が 成長し コンクリートに付着成長するメカニズム

 

 

重防食 というのは コンクレート 鉄構造物 などに 厚く左官が使う コテで

塗装する

 

付着物を 防ぐと同時に 構造物の 腐食も 防ごうとする 塗装 

 

 

これを 施工 するには

 

銅紛 酢酸 粒子の小さい ポルトランドセメント 小さな粒子の砂 ゴムの原料の

 

液体(エマルジョン)を  一緒に撹拌し 乾燥する前に 構造物に 塗布する

 

 

 

性能調査

 

テストピースを 各種作成し 近傍の海に 下げ 効果は 良好 であった

 

 

マーケット

 

調査 絞った   結果 以下の 二つが 大きな マーケットであった

 

 

一番大きなものは 火力 原子力 発電所   取水路 放水路

 

発電時に 使用した 蒸気を  清水に 戻す  整水器冷却用 海水、 内部は 

 

19㎜径の 銅管が ぎっしり詰まった  同管内を  冷却水として 海水を走らす

 

 

例 柏崎原発 7基 の 5m四方角 長さ 200m以上 2本が 7系列 x 2

 

保守時の 停止水路 必要   膨大な 壁面面積

 

 

それまでは  人海戦術で  付着生物を 除去し 焼却などの 処理

 

 

下水処理場 最終沈殿槽の 流水枠   屋外型で 光合成の起こるもの

 

 

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発電所向けに 供給できないかと つてを たどって 東電 我孫子研究所の

しかるべき ひとに 伺って 相談

 

どの 発電所も この水路の 付着生物処理に 物量 撤去 腐臭などの 問題で

困っているとのことで 柏崎 原発が 最大とのことで 柏崎に 伺った

 

確かに マーケットは 巨大だったが 銅のイオンが 放水されるのを 周囲の

漁業などへの 環境影響の 調査などが出来ていないと 採用は難しいと消極的

 

作業は 膨大にかかるが 外部の環境に 影響を及ぼさないという 考えだった

 

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困った 小生は   下水処理場 に向かって  マーケット開拓 を始めた

 

 

あるところで 「建設省 下水道部長は 広島出身だ」 と 聞き   一縷の望み

 

で 建設省 門脇の 公衆電話 から  なんども 通じるまで 電話した

 

何度目かの 電話が 通じ  下水道部長室に 迎え入れてくれた

 

 

それが  中本 至 (なかもと いたる)氏 だった

 

不思議な縁だった

 

 

因島の 隣 瀬戸田の出身(高根島) 瀬戸田高校 広大 工学部 土木 S31卒

 

(11級先輩) 下水道部長 (トップ)   後日 下水道事業団理事長

 

(建設省 下水道畑 日本は未だ 下水道率が 40%台 局にならず 部だった)

 

さらに 妹さんが 我がふるさと 木江に 嫁がれており 健在だった母が 

懇意だった

 

 

中本さんの 大きな功績は 熱海の下水処理場 を IHI 横浜で鋼製台船で 製作し

曳航 沈埋させ 完成させた 実績があった その技術で 学位を取得

コンクレート防食 の 専門家だった

 

 

下水道業界に 入るためには 業者の 協会入会 など  公共工事の 取り決め

があり 簡単なことではなかった  協会名簿頂戴 先輩(栗田工業常務)紹介 などの 面倒を おかけし 恐縮した

 

 

驚いたのは  名刺箱 200枚 ひと箱 いただき  ハン箱を 貸していただき

全てに印判した

 

一枚に 小生の 紹介文を 書いてくださり 判を押し 後は 同じように書けと

指導を受けた 

 

 

皆で 手分けして 各都市 下水道部長 場長 などを回った

 

すぐに 実施工事を受注するのは 難しく  無償 テスト 施工は 随分の個所で実施

 

 

 

中本さんは 相撲に造詣が深く 蔵前国技館を 東京都の下水処理場にし

両国に 新 相撲国技館の建設に 協力したとことで   毎場所 千秋楽後の

打ち上げに 当時の 春日野理事長(栃錦)の 右隣で 春日野部屋の打ち上げに

出席されていたと   栗田の常務から お聞きした

 

 年賀状 毎度 相撲絵

 

 

 

大きな 贔屓を いただいたが   すぐに みんなを 救える ものには

 

ならなかった

 

 

中本さんとは その後に就かれる  下水道事業団理事長 時代 その後も

終生 ご厚誼 いただいた

 

 

偉大な 先輩であった

 

2024.06.02     pedra-oishi