当時の 海運 造船 不況下 の 一端  に なされた 特記すべき 事項

 

 

下記 グラフ は  過ぎ去った  時系列 を表示しているが

 

 

当時の 造船経営には  多大の 危険性 が 近未来に惹起  と 論評

 

 

我々 造船屋 は   時勢に 抗いながら  懸命の 努力を 傾注していた

 

その 記録 の 一部 を 示す

 

 

 

 

 

三光 オリンピック

 

 

円高不況の 根源 「プラザ合意」 (1ドル 250円 が 125円 と 

 

円 収入は 半減した)   が  なされる前に  

 

 

当時の 時勢を つかみ

 

 

神戸 河本敏夫 社長(衆議院議員)率いる 三光汽船 は 発注額 総額3千億円

 

と言われた  大量の  ハンディ型 2.3-4.0  万トン DWT BC  111隻 

 

を 全国の 造船所に 発注した  因島は 3.6万トン DWT 6隻 だった

 

 

この 建造競争を 「三光 オリンピック」 と 海運・造船界で 当時 呼称

 

 

挙句の果てに 三光汽船は この工事直後  倒産し 会社更生法  を申請

 

 

(更生法を 裁判所が 裁可すると 負債金額の 数パーセント(場合による)

 

しか 支払われないことになる  それも 延べ払い)

 

 

海運 造船界は 混乱した

 

 

どのような 経営問題であったかは 詳しいことは 不明 だが

 

 

このことだけが 因島の新造船事業の 命運を決めたわけではない

 

 

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36 BC 建造計画

 

各 造船部門の 担当係が 基本方針に基づき 計画した

 

ものを 小生が 取りまとめた   

 

 

当時は 因島 向島 両工場を 合理化合併 で 広島工場 と 呼称   

 

 広島工場 ヒ  

 

 

 決意

 

 

 30% コストダウン

 

各 造船会社で 船台建造期間の 短縮が 競われた   因島 38日 目標

 

 35日 とか 32日 とか   様々な 情報が 入ってきていた

 

 

 主 要目

 

物量表

 6000トン

 

 

 5S 運動

 

時数 削減計画

 

 

ブロック 端を 仕上げ 現場での 切断工事を なくす  精度管理計画

 

 

 

船殻 5係 目標時効  M A F W T

 

各係 一体となって 努力傾注

 

 

 

 

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このことが 代表するように  因島の 新造船事業には

 

採算性がなく 将来的にも 成り立たないと 

 

経営陣は 判断した      廃止する  と

 

 

我々  新造船事業に 携わる者は 様々な 努力を

 

重ね重ね 傾注したにも 関わらず  

 

営々と 築いた  新造船技術を   放棄する と

 

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ここで 私が 振り返って 思うのは

 

 

一番 大切なものは  技術を 磨かせ  投資をして 

 

育ててきた  多くの 技術者 であった と

 

 

皆 新たな  生きる道を 求めて 立ち向かっていった

 

 

2024.06.01         pedra-oishi