進水時の 様子     驚くほどの 人の多さ    国営企業ならでは

 

 

造船工事  工場配置  技術導入 教育 など  

 

大連 の人と 論議

 

 

内業 外業の 連合会議    両課長と

 

 

工場 レイアウト など 造船工場の基本についての 意見会議   小生担当組

 

 

 

滞在中は 現場を見る時間に 制約があり   朝 朝食前に 走って 入場

 

特に 船台 船内  組立工場  などの 工事進捗を  把握していた

 

 

このようにして 大連に 行っては 調査 論議 提言を 重ねた

 

ブラジルの ように 職長クラスを 常駐指導する  余裕はなく

 

 

大連から 因島へ 実際の作業を どのように 行っているかの 見学 実習

 

を 行うように  自然な ニーズから  移行していった

 

 

 

内業訪日 関係者 と 因島 の 内業職長 連中

 

 

内業課長 戴 上覚 主任 には 作業の 詳細を   因島の 実情を説明

 

 

彼は 江南(ジャンナン)の 出身で  大連の人ではなかったが 熱心だった

 

 戴さん

 

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確かに 中国全体を 眺めると   造船 には 江南が 優位か

 

 

江南 とは 揚子江 (長江)の  川沿いの 地域   特に 南側

 

 

中国で 進んだ   華やかさの ある  歴史の 深い地域のこと

 

上海 杭州 揚州 南京 蘇州 無錫 鎮江 などなど

 

 

このあと  20数年後  私は 造船で  江南 ジャンナン に行くことになる

 

 

時系列は 前後するが・・・

 

日立造船は  結局   中国側の 造船所進出 要請に  合理化の ため 

 

応えることが出来ず  別の 日本の造船会社に 取って代わられることになる

 

 

一部 主機関連の 製缶部品工場を 鎮江、寧波 沖 舟山 に 出たが 規模が

 

小さかった

 

 

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特異な 写真 発見

 蒸気機関車で鋼材搬入

 造船所 学校

 

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中国 大連の人は 因島の ドックハウスに 寝泊まりし 勉強された

 

 

前列 左端 村井外業係長 戴さん 小生   後列 左端 唐さん(外業課長)

 

 大連側 の 料理招待

 

 奥 小生 隣 戴さん

 

 

延べ 百人が 因島に来て 実際の 造船技術を 勉強され 我々と 論議し

 

自分たちで 大連造船所を 改変されてゆく 歩みとなった

 

 

私は 日本で 定年後 造船コンサル の 道を 模索し 十年余り 働くが

 

 

その折 二十数年ぶりに 大連造船所に 入ることができた

 

懐かしく 思い出深い 造船所を 歩いた

 

 

 

大連 の 項   

 

最後に  張 立家  弁公室 主任 (総務部長) の ことを 

 

 張 先生と

 

張 立家 (チャン リッカ) 先生 には 様々なことで お世話になった

 

気持ちが 通じる ひとであった

 

 

ブラジル での NEWTON MACHADO と 同じ 

 

 

最後に  私に 印章 を  くださった

 

 今も使用している

 

 

 

大連造船所 に 乾杯

 

 

2024.05.29      pedra-oishi