因島工場  造船内業工場

 

係長

 

ブラジルから帰国して 造船内業工場の 係長 の任についた   30代半ば過ぎ

 

5人の職長 約30人の班長 総員 200名 の 職場  

 

職長は 50代 もつれの ベテラン

 

 

歓迎会 が寿司屋の二階で行われ ゾラっと両側に 三十数名の 役職者が並び

 

自己紹介 乾杯など  日本式の儀礼  はじめて 頭になって 性根が入った

 

 

工場の 係長  と スタッフの 立場には 大きな違いがある  責任

 

皆が 見る   初めての 見られる立場

 

 

下の者は 上を 三日みれば わかる 、 上のものは 三年居ても・・・」

 

率先垂範 を 心がけようと 意を強くした

 

 

 

 

 

マーキン(罫書) ガス切断 曲げ加工 小組立  場内外運搬とクレーン運転手

 

の 5 職場

 

鋼材の ショットブラストは 向島の興進産業(新日鉄出資)の 加工センターで

 

行われ 毎日 200トン ロットの 鋼材が 4号岸壁の 鋼材搬入クレン下に納入

 

 

これを 組立に 遅れがないよう 精度よく立派な加工品を 納入する  使命

 

「次工程は お客様」

 

 

明るく  職場の  部下の 健康と安全  を  守り抜く  決意


 

 

 

まず  人をみて  毎日 具体的に 何をしているか   洞察と 推察 観察

 

 

マーキン班長  坂井 健典 (けんすけ)君    同い年であった

 

 ヘルメット姿の写真 不明 

 

坂井君の 仕事を 休止させて 私の 考えを 直接 実行してもらう スタッフに

 

 

 

日夜 門哲の 説かれた通り 考える ため

 

250m x 65m 4棟の 工場で  どのように 仕事をしているか 頭に

叩きこむために 鳥観図 を 大きく書き 全員の配置を明示し 適度のサイズで

つぶさに メモを入れて 改善を 考える ものを   描いてもらった

 

彼は 因島 三庄 産  因島北高校 造船科 を出て マーキンの職場 で

次の マーキンの職長候補 (当時の職長談)  島育ちの造船屋

 

 

正確な   数字 線 形を描ける    男であった 

 

 

 

 

 

 

ここで 今日(こんにち) から見て 当時 取り組んだのは  

 

 

正しい 道だったのか

 

 

思いを 馳せてみたい

 

 

 

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円高への 圧力    輸出産業である日本の造船の   衰退の始まり

 

 

円高というのは 輸出産業である  造船には 直接大きく 影響する

 

この時点では 250円/USD もつれで ドル建てベースで 受注し 

 

経営に 大きな葛藤が  起こり 始めていた  

 

 

 

完工収入の USD を  諸支払いのため 円に換算すると 大きく減収

 

 

現実的な 造船労働が 置かれている 状態を 数値で示すと

 

 

 

WAGE & CHARGE  労働賃金 と チャージ

 

 

これが 当時 時間当たり 3600円 であった

 

WAGE というのは 年間の予測総労働時数 の 支払い賃金の単価 2千数百円

 

CHARGE は 固定資産額の減価償却  エネルギー WAGE 以外の 諸経費の

年間の時間当たり 単価 千数百円  合計で 3600円/時数

 

 

クレーンに 掲げた  標語 「 一秒 一円 」

 

時勢 との 闘いの まっただ中に あった

 

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酸素プラズマ切断機の 導入  切断速度向上

 

 

内業は プロパンガス 切断、 外業は アセチレン (空気より軽い)

 

フランスの エアリキッド社製 の ロガトーム切断機 で 板の内構材切断

1/10のサイズ フィルムに描かれた 線を 工学的に追跡し 精度の高い鋼球 で 10倍に 拡大して切断する機械が 先人により導入されて 使用していた 

 

プラズマ切断は 最低2から4倍速  平均 2倍の 速度で 切断し 生産性向上 

 

当時 多くの造船所に 導入され始めており 空気プラズマが主流であった

 

この 一万度を有する 高温のプラズマ光束を 空気 窒素から 酸素で さらに

高速化 開先切断の トーチの角度化 など 現場からの 要求で

日本では T社 k社の 2社が 酸素プラズマ切断機 を 開発中であった

 

まだ 日立造船 造船部門 では プラズマ切断は 行っていなかった

 

後に 向島東工場の 鉄構部が 導入したいと 勉強に来て 説明した

 

後日 有明は k社の 機械を導入した

 

 

 

この ガス火口は ハフニューム 金属(ロシアは 切断 溶接は進んでいた)で

日立金属が 技術導入し 始まっていた 但し 数時間ごとに 取り替える必要有

溶ける

 

三菱長崎 大島造船 名村伊万里 水島 など 各工場を見学させてもらい

 

大型集塵機(バック プレッシャー エア式) 集めた酸化鉄の処理方法

 

(伊万里では 焼き物に流用しているとのことであった 1ミクロン粒)

 

切断コンベアの方式  最終スクラップ材の 処理

 

プラズマ切断後のバックファイヤー による 裏側の 酸化鉄除去 吸い込み精度

 

 

電気制御方式(FANUC の 大きな 数値制御器が必要) 制御室配置 空調など

 

情報は 磁気テープ 読み取り方式 (現在は WINDOWS で 機体搭載)

 

 

などを 研究し 本社資材の了解のもと 日商岩井経由 T社に 発注 設置した

 

総合的な コスパ裁可は  石井工場長の 裁決で  2億1千万円 かかった

 

 

 切断機メーカーで

 

 

 

この時 担当させた 切断担当班長  戝間 君は 意気に感じる人間だったか

 

後日   私に 稀な 逸品の  彼が 育てていた サツキの鉢 をもらったが

 

忙中を言い訳に 水やりを忘れて  枯らしてしまった 思い出がある

 

 今 思うと 申し訳ない

 

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この NC 酸素プラズマ 切断に関し 裏話

 

 

日立造船の 造船数値制御 数値解析は 日本では トップレベルで 進んでいて

 

生産設計の ラインズの精度向上 外板展開 内部構造材の 数値展開  また

 

船舶ロードメーター 積載 応力解析 せん断力 表示のできる機器を本船に

 

搭載する先駆者

 

 

 

この 船舶ロードメーターを 南米の船主 造船所に売り込みに 日立造船システム

 

の 後の 社長  山元洋二郎さん が ブラジルに来られ ニテロイの 自宅で

 

小宴を催し  山元さんと 気脈が 通じた  山元さんは 確か 阪大の造船

 

で 初めての上司 井上武彦さんと 懇意なひと だった

 

 

その折 日立造船の 数値制御の話を しっかり 聞いていた

 

後日 帰国後  山元さんから 返礼の宴 を 受け 思い出話に花が咲いた

 

 

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2024.05.19         pedra-oishi