組立会議 の後 毎 土曜日 イバンが 連れて行ってくれた シュラスコ
大組立 管理
全4工場 全ブロックの 組立計画表を 定盤配置も含めて 作成
最初は 私一人で 計画表を作成していたが そのうち JAYME という 若いものを つけてくれ 彼に教えて 毎日 進捗チェック 計画表 作成
これに基づいて 土曜日午前に 組立課 で 会議 修正 確認
左から チリー人の JUAN(スタッフ) RIBAMAR(Z棟職長 MESTRE)
IVAN (chefe de secao 課長) WALTER(Y棟) RENATO(X棟)
皆 IVAN のことをよく聞く いい男たち であった
JUAN(フアン) バスで3日がかりで アンデス越えで リオに来ていた スペイン語なまり 帰国時 SONY の 国際放送が聞ける RADIO を 譲った
RIBAMAR(ヒバマー) 良く仕事のできる アマゾン出身の男
アマゾン河の話を良くしてくれた 白い水と 黒い水が ぶつかるところ が ふるさとだと言っていた 後で ネグロ河 と知った
WALTER(ボルテー) ヤシガニ をとるといって 連れて行ってくれた 海苔巻き
の 握り飯を どうしても 食べなかった 黒い紙 を食べる 日本人をいぶかった
毎週土曜日 会議の後 IVAN が 表記写真の 毎週異なった シュラスカリア に
連れて行ってくれた 一年近く 続けた
IVAN には 信頼され 後で 触れる 全社 改善運動 MOMETRA の 伴走者
になってくれた
搭載 クレン予定 の 作成
造船所で クレンを使う 最も強い男は 一般的に 外業
取付の職長である 古今東西 どの 造船所でも同じ
何故なら 船を造るために 取付ペースで ブロックを動かし 搭載し
自分たちの 仕事を 優先しようとするから
MAUA も 同じであった
職長は EVILASIO エビラジオ という 強そうな 男であった
この男を 私の いうように ブロック検査手直し 先行艤装 先行塗装 などを
行って 搭載することが 後で 手間が かからない これを 理解させるのに
喧嘩はしなかったが なんども いい含めて 搭載会議を 行うようにして
クレン予定を 作成するようにした 彼も 従った
中 取付職長 (MESTRE) EVILASIO エビラジオ と 小生
ブラジル人に 負けないように ひげを 生やした
このようにして 搭載センターをつくり クレン予定表 ブロック配置図を 毎日
午前中に 作成し コピーを 関係者に配った これも 一年近く続けた
若い 技術者 NEYEE ネイー をつけてもらって 教え できるようにした
搭載センターで 最終 帰国前に 写した 一枚
オランダからの 造船所 VEROLME 見学
右 小生 となり ELIZEU エリゼウ (外業課長 VEROLME 出身)
ANGRA DOS HEIS アングラドスへイス の VEROLME を 見学して
勉強した 報告書は どこか不明だが 進んだ タンバックルなど 工具は
オランダ人らしい と 参考になった
現場管理から 生産計画 管理部門の指導へ 移動
社長の弟 ALBERTO FERRAZ から 辞令をもらい 生産計画管理の指導を
乞われた
計画課長に WANDERLEY という 優秀な技術者 就任
左 外業課長 ELIZEU 右 計画課長 WANDERLEY バンダレイ
ブラジルの 造船科のある大学 は サンパウロ大学 (斎藤教授が知られていた)
後で 組立に入ってきた NEWTON OKAMOTO (因島に私を訪ねてきた)も
サンパウロ、
もう一つが リオデジャネイロ 工科大学 (FUNDAO)
WANDERLEY は リオ だった
この男に Sカーブ 時数表管理 見積時数 実績時数 などと
生産管理の 各ステージの 生産性管理のための 原単位表の作成などを
一緒に つくって 会社 幹部に 報告するように していった
Wanderley との 思い出
家が 近く 奥さん 息子と 我が家 家族は 家族ぐるみの付き合いをした
最近 ブラジル北部の レシフェ 造船所の 役員をし サプライボートなどを
建造している というメールを もらった
MOMETRA 仕事の改善運動 他
精度管理から 始めた 仕事の 改善運動を 会社全体で 小集団活動として
資材 設計 各 現場 管轄課 に 拡大した 運動を 行った
造船所側の コーディネーションは IVAN が代表として 私と 一緒に
各課に 訪問し テーマ別の 作業改善の 状況を把握した
その折の 顕彰を受けた プレートが 上の 写真
私としては 手ごたえのある 造船所 全体の 改善運動を起こしたとは
今でも 誇りに思っている
その他で
NC切断機 の 導入提言も 行った
2度の 一時帰国時には ポルトガル語で 全員の前で 仕事に 意思を
持って取り組んでほしいと ブラジル人の 痛いところを突いたが
拍手を もらったりした
副社長の VALENTE から 今の HITACHI の 給料の 6倍出すので
残って働かないか と 誘われたが 思うところがあるので と 断った
初めて 吐露する もう時効であろう
ひとりで いた時の 部屋の様子 ICARAI RUA LOPES TROVAO
日本からの 雑誌などは 隅から隅まで読んだ 文字に飢えていた
2024.05.12 pedra-oishi