東洋で 初めての 帆船レース  参加         SAIL OSAKA 97

 

 

瀬戸内の 島 への 足跡

 

赤で囲んだ島 は ヨット その他の方法で 上陸 し 足跡をしるした

 

  特異な島   は以下の通り

 

大三島    大山ズミ神社  源氏の 義経 頼朝の 国宝 鎧 

因島     囲碁 本因坊秀策 の生家 記念館

大島(伊予) 村上水軍の本拠地

斎島(いつき)広島県鳥 アビの生息地 いかなごを 追う鳥 下に鯛

江田島    海軍兵学校

屋代島    作詞家 星野哲郎 生家 記念館  商船学校

長島     中電 石炭火力発電所

似島     原爆被災者 収容地

白石 北木島 塩飽諸島(咸臨丸水主) 墓石産地

伊吹島    讃岐うどんの 出汁用 イリコの 産地

仙酔島    

百貫島    志賀直哉 小説 暗夜行路 尾道千光寺山から 灯台の灯みえる 記

       日立造船 因島修理船 アンカレッジ  何度も上陸した

 

魚島     川渕君が 「イッサン (石さん(私のこと)) 

       烏賊(イカ) 買い 行くかね (土佐弁)」 と

      

       私に同意を求め 船を この島に向け 漁師から 烏賊を買って

      

       船の艫で 裁いて 食べる・・・・何度行ったことやら

 

      

       今思うと 夢の中の出来事  のように思われる

 

 

 

百貫島でのヨット部の人々

 

 

ロマン号    懐かしき 面々

当時の この船の建造許可をしていただいた 菱田一郎工場長(前列中央)を迎えて

 

セイリング   因島 土生港

 

私の最初の上司 井上武彦 係長(当時) 前列右端 小生の 左となり

 

小生の後ろ 川渕君

 

ロマンの 遠征航路 速吸の瀬戸を 越えて

 

日振島(ひぶり) 宇和海   完全透明な海   イサキ 美味だった

 

その折は 宿毛で カツヲを 食し 折り返し  因島へ帰還

 

 

川渕君は 別に 四国一周をした    沖ノ島 は 彼の ふるさと

 

いつも 土産が 彼のお母さんからの ウツボの干物 厚いノリ  思い出す

 

 

この 地図内では 私は 別途 一人で テントを担いで その 遠景に

 

魅了されていた 国東半島沖の 姫島(ひめじま) に テント泊に行った 

 

国東半島も 平坦で きれいな 形をしていた

 

 

 

 

ヴィバーチェ  この ヨットとの 出会いは 別途 II部で

 

話すが ここでは SAIL OSAKA 97 出場についてのみ 記す 

 

詳しくは 別途 

 

なぜなら  海路 広島から 種子島 西之表 に 上陸した  ので

 

種子島 北部は 平坦   で 山がなかった

 

レースの様子

 

大阪築港 150年を記念して アジアで 初めての 外洋帆船レース

 

香港 沖縄 鹿児島 大阪   我々は 最後のレグのみ (働いていたので)

 

空撮 艫の 黄色ヤッケ が 小生 

 

桜島を背景に 乗艇者 13名(1名欠)  右の帆船は メキシコ クワテモック

 

 6名 4時間 ワッチ  2組 =12名  艇長  計 13名

 

 

 

 

 

スタート 下3艇の 真ん中 RV

 

 

事故

 

台風1号下  アメリカズカップ 日本代表 南波誠 艇長が 落水 不明事故

 

 

 

我々は 強風下 無事 FINISH した

 

105 時間 かかった  台風 1号下 北の風 強烈

 

Finish

 

 

後日  数年経って  一人で 桜島 スケッチ旅行、 桜島にも 行った 油彩

 

 

 

 

メキシコ 帆船 クワテモック   訪問 

 

  大阪南港

 

 

この時 5年居た ブラジルから帰国した時点で

 

ポルトガル語で   ジョアキン キャプテン

 

と話した  十分通じた

 

テキーラ を 数本 いただき RV で 片づけた

 

 

キャプテンルームで 歓待してくれ パーティーに 招待してくれた

 

廊下に  各国 訪問 ペナントが たくさん 飾ってあった

 

2024.04.25    pedra-oishi