オランダ人 セーラー  

 

 

 が  不意に   瀬戸内に  迷い込んで  クレーンを見て

 

因島に  ヨットの 修理 依頼 が来たことがある 

 


ヨットということで わたしに 話が来た

 

 

工場の人たちも 入念に 修理してくれた

 

 

 

 

船のつくり方を 学んだのは オランダから

 

 

幕末  ロシア船 が 日本で 座礁  破損し 

 

 

伊豆 西岸の  戸田村(へたむら)で  日本人が

 

ロシア人 から 図面  建造法を  学んで 建造した 

 

 

「戸田号 HETA」     日本最初の 蒸気 帆船

 

 

この ロシア  ピョートル大帝が 若かりし頃 オランダへ 単身 蒸気船建造法を

 

学び それを ロシアに広め   日本に伝わったのが 始まり

 

 

咸臨丸など 多くの 日本の船を つくってくれた オランダ

 

 

我々は それを 知っていた

 

 

意気に感じ  私が 窓口になり  無償で 修理し  出帆した

 

 

 

川渕   オランダ人 セーラー (名前失念)  小生     喜んで 出帆

 

 

 

 

 

野本謙作 先生

 

野本先生   小生 今川 川渕   建造した ロマン号を 見ていただいた

 

先生は

 

愛媛 松山出身

 

九大造船 出  阪大造船科 教授   この時は 広大 教授も兼務

 

運動 旋回の権威  日本が アメリカズカップに初出場するときの adviser

 

ヨット 「春一番」オーナー

 

因島には 折々 講義などで 来島    尾道で買い求められた 和式 錨

 

担いでこられた  「錨は 和式が 一番」  常用句

 

土生から 今治まで 「春一番」 に 乗せていただいて 海面 落雷に遭遇したのを覚えている

 

先生の 春一番

 

常石建造の自動車船の 上部甲板に乗せ 欧州へ運び  海事大学教授に就任され

 

欧州 運河を めぐる  クルージング、    本で 読ませていただいた

 

 

 

 

野本先生と私

 

 

因島での 造船関連 以外に 

 

先生の 九大の後輩で  田村 清典 先生 (父の同僚であられた 木江造船学校の先生)が

 

広大造船に 合格した時などに 木江の海沿いの家に 食事に 招待していただいたことがあり

 

その折にも 後にも  野本先生との 関係をお聞きしていた。 

 

 

 

 

残念なことに 西宮ヨットハーバー での 落水事故で 逝去された

 

海 船 ヨット の  大先達  であられた

 

2024.04.23     pedra-oishi