試運転   初めての乗船時のことはよく覚えている

 

海域 伊予灘    佐多岬のマイルポスト

因島から来島海峡経由 

 

大分 日鉱 佐賀関 精錬所 の 煙突 を 目指した 試運転

 

仕事を やめて  佐多岬 の 突端に立ち この 煙突を 見に 行った

 

昭和20年4月7日 夕刻の 3千人乗艦の 大和の 速吸の瀬戸 出撃を 夢想して

絵にかいたりした

 

ヨット 「ロマン号」を造り この 速吸の瀬戸をかわし 黄金バエという暗礁を

かわしたのも 思い出した

 

 

 船の運転前

 

現在は GPSで 潮流の影響がなく 深い海域で 制約なく 実施しているが、 

 

当時は 岸と 山の中腹に 白い三角マーク柱 が打たれた コース

 

正確な 1-マイル(1852m)距離の 間を 望遠鏡で 確認しながら

 

速度計測を実施  併せて 主機馬力測定   前進 後進 低速 全速

 

 10KT(ノット)の速度は 10*1852/1000   時速 18.52 km

 

この時 「用意 テッ」 と  海軍からの伝習の 掛け声で 開始

 

多くの 速度計測以外に 旋回試験といって 舵を35度(最大)に切って

 

全速で 旋回し 半径を計測する 右舷左舷 両方。  この時 飛行機が 空撮

 

アンカー試験は 水深80m以上のところで 落下させた アンカーを巻き上げる

 

ウインドラスの能力査定試験    巻き上げ速度  消費電力

 

など 二日がかりの 多くの試験を行うので  アンカーして 一泊する

 

 

これは 内試 公試  といって 社内だけと 船主 協会など 外部への披露の

 

試運転は 2回行われる

 

 

船殻設計は 各種 振動計測と バラスト(海水)満水時の タンク隔壁の たわみ

 

等 変化確認が 検査係を 入れて 全タンクで 行われる

 

初めて 試運転に 乗船した時の 私の 役割は 大きく 次の 二つ

 

一つは タグから 沖で乗船時 に 準備してきた 日本酒 一升瓶 3本括りを2個 計6本を 両手に抱え 外舷タラップの 手すりロープに 触らないで デッキまで 運び、 指定部屋の 新風呂に 湯を張り 温める  後で 燗酒を 飲むため   足元の 揺れを気にしながら上ったことは    数十年たった 今も よく 覚えている  夜の 停船時に 各 部屋に 配る  運転の大将は ドックマスター

 

もう一つは 振動計測  昔の赤インク記録 ばね式 振動計測機(少し 重い)を 居住区内の各部屋の 中心部で 縦横 2回 計測  エンジン 最大回転数 前後進

時に 6階建ての 30室以上ある部屋を 運ぶ  これも 大変であった

多発のインク と 紙の トラブル 主任の 難事を 手伝う (チームワーク)

 

現在の 歪、 加速度 計測器は 進んでいる

 

船の振動の起振力 は 主機  8筒、とか 12筒とかの ピストンの上下 爆発力 と プロペラ 5か 6枚の 翼が 船尾 船底を 海水を巻き上げて 叩く 力 の2種を 勘案する   その他の補機の 力は弱い

 

この時 居住性の良否 煙突、機関室内の 各機器、各配管 電線 その他の装置に 影響がないか などを 確認するのが 船殻設計を中心とした 関係者の仕事で

内試で 振動が大きければ 公試までに 確認 補強工事を実施する

 

公式運転で 出れば 船主 協会に 相談して 改造工事を実施する

 

当時 上甲板から 居住区の上まででた 高い 煙突 2本 が 大きく振動する現象が発生し 大がかりな 補強工事を実施したのを覚えている   

   大阪商船 新大阪丸

 

若いから 元気で 力もあった

 

2024.03.30 pedra-oishi