一年半の 教養部

 

 

学科の 担任 チュウターは 数学 指導の 出穂(いずほ)先生であった。

 

出穂先生

 

 

一般教養科目、  大学で 専門科目に進むために 人文、社会、自然科学 3科学

 

分野から 、工学部なので 必須の 数学、物理以外は 自由に 選択して学んだ。

 

その中から 記憶に残る 印象的なものは 以下のような ものであった。

 

 

哲学    門 秀一(かど しゅういち)教授 

      

「考えることは 愛することである」

 

と それまで 聞いたことのない 言葉を  説かれた。

 

この例として 化学者 ベンゼン(1825)の 亀の甲 の化学式 C6H6 の発明 

 

を話された。

 

炭素 C は 腕が 2, 水素 H は 1、それぞれ 6個の 原子が 結びつく

化学式を つくるために ベンゼンは 日夜 呻吟し ある時 ぐるっと 一周させて C6H6 の亀の甲の 化学式を 発明した。これが後の 化学の発展に大きく寄与した。

 

先生の説く 考えることを 日夜 一生懸命 続けなければ 新しいものは 生まれない。 それを 続けなさい。 と 説かれたのであり、それこそ その対象を 愛することに他ならない。

 

その後の 数十年 工学、工業の分野に 身を置き 忘れられない 教えであった。

 

 

 

 

地理学 藤原健藏 教授 (先述のとおり 越冬南極探検隊 派遣)

 

物理学 清家美徳 教授

 

たくさんの 計算問題 で 鍛えられた。

 

天文学 村上忠敬 教授 

 

 (後に 就職する 日立造船で 先生の次男が 上司の時期があった。) 

 

アメリカの 月探査の アポロ計画(1961-1972)の始まった時期で 月の 地図を作ろうと されていた。

 

月の写真から 太陽の角度を出し 写真の中の クレーターの影の長さから クレーターの 高さを 算出されるという 気の遠くなる作業を なさっていた。

 

感銘を受けた。

 

 

 

英語  教官の 名前は 失念、  教科書名と 著者 は 以下の通り

 

WALDEN  森の生活 

 

著者 H.D.THOREAU (ソーロー) は 1845 から 2年間 ボストンから20マイルの コンコード近郊の WALDEN という 湖の ほとりに 自分で 小屋を建て 自給自足で 暮らし、経済、生物、生活 などについて 考え 記したものについて  英文で 学んだ、学生時代には よく理解できなかったが、 折々 紐解き、この USA の 独立後の 時代に 生きることとは どうだったのか、 など、多くのことを 考えさせる 教科書であった。 いまでも 折々 翻訳文も入れて 読んでいる。

 

 

 

その他の 教養部での 科目 先生も 数多く だったが 思い出すのは 

 

以上のようなこと。

 

                  2024.03.10   pedra-oishi