広島大学

 

昭和38年  1963年  4月

 

18歳   広島大学に入学  瀬戸内海のから 

 

和加丸   に 乗って 宇品に

 

 

 

船舶工学科は   27名。    まわりは 浪人した 街の 人間 ばかり。

 

 頭は 丸刈り、 私一人だった。   誰ひとり 知らない 初めて会う人々。

 

すぐに 友達として、 心をゆるす人には 出会えないと 思った。

 

 

大学は 自由で 勉強だけではなく 

 

何か 今までとは違う 初めての ときはなられた  自分だけの  空間

 

 

ひとりで 生きる  のを 感じた 大いなる 人生の はじまり。

 

2年前期まで 一年半 教養部で   人生道程で役立つ はずの 勉強

 

 

両親から 離れて 自立の 第一歩。

 

金が 心配の はじまり。    奨学金 アルバイト 仕送り 

 

毎日毎日の 三度三度の  飯を 食らうことが 毎日の かだい

 

 

 

S38.4 入学時

 

不安な表情が 出ている

 

 

大学から  私の個人番号が与えられた  3885003

 

昭和38年入学  8=工学部  5=船舶工学科 003=同級生間での 私の番号

 

学生服は 島で買ったものだったか、  よく覚えていない。

 

革靴  島の木江に 靴屋があった、 進藤さん、 母が 注文してくれて つくってもらった。   ごつい 厚い 重たい 初めての 黒革の 革靴だった。 

 

大事に ながく履いた。

 

時計 万年筆  親父の 古い ものを 身に付けて 広島に行った。

 

  先述のように 同じクラスで 27名中、 私だけが 丸坊主。

 

 

大学の紹介の  宇品の  下宿から 大学の生活が始まった。

 

高い塀に囲まれた 広陵高校(野球)が  電停(県病院) に近かった。

 

 

2年時の定期

 

ビール 一本(633㏄)100円越、  下宿 畳一畳 月千円

 

アルバイト一般 一日数百円、  家庭教師 週一 月・5000円

 

土方現場 一輪車 生コン運び 1300円・日  よく行った。

 

自転車なし、 ほとんど 歩いた。

 

広島の デルタ(三角州)は 平地

 

新しい 人生の はじまり

 

                   2024.03.09 pedra-oishi