まず、こんな赤っ恥なブログタイトルになってしまったのが悔やまれる。申し訳ない。恥ずかしい。
だけど、必然的にこのブログタイトルになるのは決まっていた訳なのだ。
僕は、Hi-STANDARD というバンドが大好きなのである。
Hi-STANDARD。
1991年結成、3ピースという最小限の人数で構成されたパンクバンド。
高円寺20000V(当時)等で主に活動。
ミニアルバム「LAST OF SUNNY DAY」でデビューし、
1995年、アルバム「GROWING UP」をリリース。海外盤を含めると、70万枚を超えるセールス。
1997年、アルバム「ANGRY FIST」をリリース。オリコン初登場4位を記録。
1999年、PIZZA OF DEATH RECORDSをトイズファクトリーから独立化し、アルバム「MAKING THE ROAD」をリリース。インディーズとしては異例の日本と海外を含め、ミリオン・ヒットした。
2000年4月、シングル「Love Is A Battlefield」をリリース。オリコンチャート初登場2位を記録。(以上wikipedia参照)
僕がHi-STANDARDを初めて知ったのは、言うまでもなく従兄弟の部屋で聴いたのがきっかけだった。
当時小学5年の僕は、度々従兄弟の部屋に侵入しては、従兄弟の聴いている音楽を聴きながらマンガを読んで愉しんでいた。
その中でも一番最初に好きになったのがブルーハーツ。
手垢でまみれた使い古されたようでありがちでチープな表現だが、ブルーハーツの『電光石火』を聴いてビビっと来た。
ハイロウズの熱狂的なファンであった従兄弟の影響もあるかもしれない。
そして当たり前だが、周りでブルーハーツの話題を話せる同世代の友達がいない(笑)
当時同級生の間で流行っていたオレンジレンジには一切興味が沸かず、
それよりか従兄弟の部屋に侵入してはマンガやCDの発掘(?)に精を出す日々が続いた。
ある日、拳に『PUNK』と書かれた謎のアートワークのCDを見つけた。
PUNK。PUNK…?
PUNK って何だ。
PUNK=音楽を発信する者の表現体系、姿勢 であると今でこそ自分で咀嚼しているが、ハッキリ言って未だに分からない。
PUNKとは何か。
考えれば考える程野暮だしダサイので省略。
ともかく、ジャケにPUNK、という文字を入れる事自体に熱い信念と熱気を感じた。
そのアルバムこそ、Hi-STANDARDの超名盤『ANGRY FIST』だ。
興味津々にそのバンドの音を聴いてみた。
鼻にかかったエッジのある、且つポップで柔らかい声の男ボーカルが、グイグイ歌っている。
全体的に爽やかな音の印象を受けた。
当時は「ふーんこんなバンドもあるんだ」と思った程度だった。
メロコア、という言葉や音の雰囲気はおぼろけながら把握していたが、従兄弟にこのバンドのことを教えてもらい、このバンドが日本のメロコアの先駆けであるというのを後に知った。
僕には2人の従兄弟がいてその2人は兄弟で、当時高校生だった従兄弟は2人ともバンドを組んでいた。その影響もあってか、というか当たり前だが、必然的にバンドというもの自体に興味が湧いた。
中学に入学したがもちろん中学には軽音楽部など無く、走る事が嫌いなのに何故か陸上部に入部した(笑)
有り得ないほどキツい練習、朝練・放課後練は必ず毎日あり、暑さのあまり死線を彷徨うことも多々あった(笑)
そしてその地獄の練習の日々の中、毎日思ってたのは
「オレは一体何をやっているのだろう」
ということ(笑)
とにかくバンド組みたい一心でしかなかったのに、なんでこんな血を吐くまで走らなければいけないんだろう。
だがその怒りは、すべて音楽を聴くことで緩和された。
そこで再びHi-STANDARDとの再会を果たす。
「ああ小5くらいの時聴いたなーこんなバンド」
なんて思いながらたまたまipodにいれたハイスタの曲を聴いた。
2度目の晴天の霹靂だった。
なんだこれは。
衝撃だった。
今でもあの衝撃を忘れない。
1曲目から最後までブッ飛び調子のハイスタの楽曲は、僕を元気にさせた。
それから中学3年間、嫌々ながら陸上を3年間こなし無事卒業。
中学3年間、イヤだったことやムカつくことや失恋など多々あったが、そんな時僕にいつも寄り添ってくれていた音楽はハイスタとブルーハーツと銀杏だった。
とにかく僕はこのころからずっとずっと、ハイスタの復活をずっと待ち望んでいた。
いろんな事情でバンドが動けなくなっていることを知って、更にあの3人が再び集まって欲しい気持ちでいっぱいになった。
スペシャのAIR JAM2000の映像で、ハイスタ3人で久々集まった光景に号泣した。
難波氏が坊主で、ひとしきりはしゃいでいた。
3人ともすごく楽しそうだった。
AIR JAM97、98、2000 の映像も最初から最後まですべて観た。
CD、DVDも買い揃え、興奮して泣いた。
ハイスタのコピーバンドまで組んで、とにかく、ハイスタのライブを僕はこの目で見たかった。
そんなことを思いつつ時は過ぎ、
2011年 3月 11日。
東日本大震災。
あの日を区切りに、すべてのことがガラッと変わった。
津波、余震、自粛モード、計画停電、そして放射能。
昨日まで馬鹿でくだらないお笑い番組がやってた放送局が全部、地震関連のニュースをずっと流し続けていた。
テレビのニュースではずっと津波や、水素爆発した福島原発、火が上がる石油コンビナート、被災した毛布にくるまって怯え切った人たちの映像がずーーっと流れ続けた。
緊急地震速報、余震の度に不穏な音と共に市内放送が流れ、テレビではACの「ぽぽぽぽーん」か「こだまでしょうか」CM、それかニュースが永遠と流れ続けた。
本気でこの世の終末感を感じた。
そんな中、KENさんと難波さんのツーショット写真を添えて「GO JAPAN!」という意味深なツイートが2人のツイッターから投下された。
世間が騒ぎ出した。
もちろん言うまでもなく僕も半端なくテンションが上がり、謎に、ハイスタを知らない友達に何故かメールを送ってしまった。
もしかすると、復活してくれるかもしれない。
そして、伝説となったあの日。
「2011 AIR JAM。届け!」というツイート。
ハイスタ3人が集まっている写真。
パソコンの前で僕は、2m、宙に浮いた。
何よりも僕は、あの3人が、再び同じ場所に集まっている光景に、嬉しくて嬉しくて、有り得なくて、
とにかくホントに嬉しかった。
泣いた。
こんな世の中を明るくしてくれんのは、やっぱハイスタしかいねえんだよ!!!!!!!
と僕はベランダから空に向かって泣きながらボロボロの顔で叫んだ。
隣の家に住んでる婆さんの怒号が聞こえた。
テンションが上がりすぎた僕は、いろんな人にメールをしまくってしまった。
何が何でもAIR JAMに行く。
ずっとそう思っていた、が、普通に落選。
横浜スタジアムへは行けなかった。
場外の音漏れだけでも聴きに行く人たちの気持ちが、あの時すごくわかった。
だがしかしBut!!!!!
AIR JAM2012開催決定。
そしてデブおじさん、チケット2枚、当選!!!!!!!
ローション寺田氏も当選!!!
3人で、宮城まで行く。
もうこの日は受験のことを忘れます。
あーーー遂にこの目でハイスタを見れてしまうのか。
ありえない。
世界で一番好きなバンドのハイスタを。
遂に。
何かもう頭が狂いそうだ。
高校三年生、18歳のこの歳で、夢が叶う日が遂に来てしまう。
「ハイスタ?懐かしいなぁ」と言う大人が僕の周りに沢山居るが、
僕は20歳になろうが
30歳になろうが
ジイさんになろうが、
昔の記憶でオーバーラップせずに、常に僕の中でリアルに鳴っていると思う。ハイスタの音楽は。
と、上手くMosh Under The Rainbowに繋いだところで締めさせていただく。
多分このブログを次に書くのはAIR JAM後であろう。
そのとき僕はどんなことをかんがえているんだろう。
僕はHi-STANDARDを心から愛している。
だけど、必然的にこのブログタイトルになるのは決まっていた訳なのだ。
僕は、Hi-STANDARD というバンドが大好きなのである。
Hi-STANDARD。
1991年結成、3ピースという最小限の人数で構成されたパンクバンド。
高円寺20000V(当時)等で主に活動。
ミニアルバム「LAST OF SUNNY DAY」でデビューし、
1995年、アルバム「GROWING UP」をリリース。海外盤を含めると、70万枚を超えるセールス。
1997年、アルバム「ANGRY FIST」をリリース。オリコン初登場4位を記録。
1999年、PIZZA OF DEATH RECORDSをトイズファクトリーから独立化し、アルバム「MAKING THE ROAD」をリリース。インディーズとしては異例の日本と海外を含め、ミリオン・ヒットした。
2000年4月、シングル「Love Is A Battlefield」をリリース。オリコンチャート初登場2位を記録。(以上wikipedia参照)
僕がHi-STANDARDを初めて知ったのは、言うまでもなく従兄弟の部屋で聴いたのがきっかけだった。
当時小学5年の僕は、度々従兄弟の部屋に侵入しては、従兄弟の聴いている音楽を聴きながらマンガを読んで愉しんでいた。
その中でも一番最初に好きになったのがブルーハーツ。
手垢でまみれた使い古されたようでありがちでチープな表現だが、ブルーハーツの『電光石火』を聴いてビビっと来た。
ハイロウズの熱狂的なファンであった従兄弟の影響もあるかもしれない。
そして当たり前だが、周りでブルーハーツの話題を話せる同世代の友達がいない(笑)
当時同級生の間で流行っていたオレンジレンジには一切興味が沸かず、
それよりか従兄弟の部屋に侵入してはマンガやCDの発掘(?)に精を出す日々が続いた。
ある日、拳に『PUNK』と書かれた謎のアートワークのCDを見つけた。
PUNK。PUNK…?
PUNK って何だ。
PUNK=音楽を発信する者の表現体系、姿勢 であると今でこそ自分で咀嚼しているが、ハッキリ言って未だに分からない。
PUNKとは何か。
考えれば考える程野暮だしダサイので省略。
ともかく、ジャケにPUNK、という文字を入れる事自体に熱い信念と熱気を感じた。
そのアルバムこそ、Hi-STANDARDの超名盤『ANGRY FIST』だ。
興味津々にそのバンドの音を聴いてみた。
鼻にかかったエッジのある、且つポップで柔らかい声の男ボーカルが、グイグイ歌っている。
全体的に爽やかな音の印象を受けた。
当時は「ふーんこんなバンドもあるんだ」と思った程度だった。
メロコア、という言葉や音の雰囲気はおぼろけながら把握していたが、従兄弟にこのバンドのことを教えてもらい、このバンドが日本のメロコアの先駆けであるというのを後に知った。
僕には2人の従兄弟がいてその2人は兄弟で、当時高校生だった従兄弟は2人ともバンドを組んでいた。その影響もあってか、というか当たり前だが、必然的にバンドというもの自体に興味が湧いた。
中学に入学したがもちろん中学には軽音楽部など無く、走る事が嫌いなのに何故か陸上部に入部した(笑)
有り得ないほどキツい練習、朝練・放課後練は必ず毎日あり、暑さのあまり死線を彷徨うことも多々あった(笑)
そしてその地獄の練習の日々の中、毎日思ってたのは
「オレは一体何をやっているのだろう」
ということ(笑)
とにかくバンド組みたい一心でしかなかったのに、なんでこんな血を吐くまで走らなければいけないんだろう。
だがその怒りは、すべて音楽を聴くことで緩和された。
そこで再びHi-STANDARDとの再会を果たす。
「ああ小5くらいの時聴いたなーこんなバンド」
なんて思いながらたまたまipodにいれたハイスタの曲を聴いた。
2度目の晴天の霹靂だった。
なんだこれは。
衝撃だった。
今でもあの衝撃を忘れない。
1曲目から最後までブッ飛び調子のハイスタの楽曲は、僕を元気にさせた。
それから中学3年間、嫌々ながら陸上を3年間こなし無事卒業。
中学3年間、イヤだったことやムカつくことや失恋など多々あったが、そんな時僕にいつも寄り添ってくれていた音楽はハイスタとブルーハーツと銀杏だった。
とにかく僕はこのころからずっとずっと、ハイスタの復活をずっと待ち望んでいた。
いろんな事情でバンドが動けなくなっていることを知って、更にあの3人が再び集まって欲しい気持ちでいっぱいになった。
スペシャのAIR JAM2000の映像で、ハイスタ3人で久々集まった光景に号泣した。
難波氏が坊主で、ひとしきりはしゃいでいた。
3人ともすごく楽しそうだった。
AIR JAM97、98、2000 の映像も最初から最後まですべて観た。
CD、DVDも買い揃え、興奮して泣いた。
ハイスタのコピーバンドまで組んで、とにかく、ハイスタのライブを僕はこの目で見たかった。
そんなことを思いつつ時は過ぎ、
2011年 3月 11日。
東日本大震災。
あの日を区切りに、すべてのことがガラッと変わった。
津波、余震、自粛モード、計画停電、そして放射能。
昨日まで馬鹿でくだらないお笑い番組がやってた放送局が全部、地震関連のニュースをずっと流し続けていた。
テレビのニュースではずっと津波や、水素爆発した福島原発、火が上がる石油コンビナート、被災した毛布にくるまって怯え切った人たちの映像がずーーっと流れ続けた。
緊急地震速報、余震の度に不穏な音と共に市内放送が流れ、テレビではACの「ぽぽぽぽーん」か「こだまでしょうか」CM、それかニュースが永遠と流れ続けた。
本気でこの世の終末感を感じた。
そんな中、KENさんと難波さんのツーショット写真を添えて「GO JAPAN!」という意味深なツイートが2人のツイッターから投下された。
世間が騒ぎ出した。
もちろん言うまでもなく僕も半端なくテンションが上がり、謎に、ハイスタを知らない友達に何故かメールを送ってしまった。
もしかすると、復活してくれるかもしれない。
そして、伝説となったあの日。
「2011 AIR JAM。届け!」というツイート。
ハイスタ3人が集まっている写真。
パソコンの前で僕は、2m、宙に浮いた。
何よりも僕は、あの3人が、再び同じ場所に集まっている光景に、嬉しくて嬉しくて、有り得なくて、
とにかくホントに嬉しかった。
泣いた。
こんな世の中を明るくしてくれんのは、やっぱハイスタしかいねえんだよ!!!!!!!
と僕はベランダから空に向かって泣きながらボロボロの顔で叫んだ。
隣の家に住んでる婆さんの怒号が聞こえた。
テンションが上がりすぎた僕は、いろんな人にメールをしまくってしまった。
何が何でもAIR JAMに行く。
ずっとそう思っていた、が、普通に落選。
横浜スタジアムへは行けなかった。
場外の音漏れだけでも聴きに行く人たちの気持ちが、あの時すごくわかった。
だがしかしBut!!!!!
AIR JAM2012開催決定。
そしてデブおじさん、チケット2枚、当選!!!!!!!
ローション寺田氏も当選!!!
3人で、宮城まで行く。
もうこの日は受験のことを忘れます。
あーーー遂にこの目でハイスタを見れてしまうのか。
ありえない。
世界で一番好きなバンドのハイスタを。
遂に。
何かもう頭が狂いそうだ。
高校三年生、18歳のこの歳で、夢が叶う日が遂に来てしまう。
「ハイスタ?懐かしいなぁ」と言う大人が僕の周りに沢山居るが、
僕は20歳になろうが
30歳になろうが
ジイさんになろうが、
昔の記憶でオーバーラップせずに、常に僕の中でリアルに鳴っていると思う。ハイスタの音楽は。
と、上手くMosh Under The Rainbowに繋いだところで締めさせていただく。
多分このブログを次に書くのはAIR JAM後であろう。
そのとき僕はどんなことをかんがえているんだろう。
僕はHi-STANDARDを心から愛している。