今年の春分の日は3/21ですが、春分の日が来ると、私はあの事件を思い出します。

そう。あの事件とは、地下鉄サリン事件です。

 

27年前の今日、1995年の3月20日は月曜日でした。

翌日の3月21日は、春分の日で祝日になっていました。(いわゆる飛び石連休)

 

あの日の朝、わたしは地下鉄千代田線に乗っていました。
霞ヶ関駅 手前で車内放送があり、
「霞が関駅で、火事があったため、霞が関には停車しません!」
と駅を通過していきました。
私の人生で、電車が停車する駅で停まらず通過したのは、このときが最初です。

私は「なにがあったんだろ?」と車内から駅のホームを見ていると、
普段なら通勤ラッシュで、サラリーマンやOLで混雑しているホームなのに、
煙は全然見えないのですが、救急隊員や消防隊員の人たちが
ドタバタ右往左往している、めっちゃ異様な光景が見えました。
 

当時私が常駐していた客先の会社では、泊まり勤務の人のためにTVが設置してあり、

TVでは、臨時ニュースを流していました。
TVに写っていたのは、結婚したばかりの相方が普段利用している駅で、
火事が起きていて、口をハンカチで押えている人が地下鉄の入口でぐったりしている、

という衝撃的な映像でした。
#実は火事ではなく、サリンを吸い込んでしまった乗客が苦しんでいたのでした。

 

まもなくして、私の会社から客先に、ちゃんと出社しているか確認の電話がありました。
会社としても従業員が被害にあっていないか確認しているようでした。
#今では地震などの災害時に、会社は社員に無事かどうか確認する安否確認システムがありますが、当時はそんなシステムや運用は、もちろんありません。


私は胸騒ぎがして、相方の勤め先に電話をしました。
相方の勤め先に電話をしたのは、これが初めてで、その後もこれ一回きりです。

 

相方はその日、私よりかなり早く出社しており、あと10分遅れて出勤していたら、
あの事件に遭遇していたかもしれませんでした。

その日は、仕事ができる状態ではありませんでした。
会社の同僚の何人かがどうしても連絡がとれませんでした。
飛び石連休なので、年休をとり、どっかに旅行にいったり、ずる休みをしていたり・・・(^^;)
結局私の会社の同僚は、全員無事だったことがわかりましたが、
あちこちに電話をかけて仕事に集中できませんでした。

あとになって、あんな大きな事件が起きていたってことがわかりました。

相方の無事を確認した後、自分の両親と相方の両親に電話しました。
「普段使っている地下鉄で事故があったみたいだけど、
二人とも無事ですから心配しないでください」
と・・・。

 

この事件のことがだんだん風化していっている気がします。
ネットでも新聞でもこのニュースの扱いがだんだん短くなってきました。
当時のことを覚えている記者が少なくなってきたせいもあるのでしょう。
この年は、阪神大震災がおきた年でもあります。

でもこの日は、私にとって忘れられない日(忘れちゃいけない日)なのです。

天災による被害も悲しいですが、
これは人の手によって起された、悲しい悲しい出来事なのです。

 

こんな悲しい事件は二度と起こしてはいけません。

体験した私には、後世に伝えていく責任があると思っています。