今日、昼前に母親のいる施設に行きました。
母親はすでにロビーにいて、昼食が出てくるのをスタンバっていました。
同じテーブルにいる人は、「先日娘さんが来ていたよね?」と姉が訪問した先月のことを覚えていますが、母親にはその記憶はありません。

看護師に「○○さん、ほれ(息子さんたちが来たよ)」と言われて母親は、僕に他人行儀に会釈をしました。
おそらく息子の顔を忘れていると思ったので、「お母さん、会いに来たよ」と言い、息子であることをアピールします。

母親とは会話が成立しません。質問と回答だけです。
「なにしてた?高校野球見てた?」
「うん、ほれ(どことどこと言おうとするが言えない)」
「スコア、接戦だね、いい試合だ」
「うん」
すでに母親の興味は、運ばれ始めた今日の昼食に移っていて、運ばれてくるトレイたちを、ジーッと凝視しています。

私は食事の邪魔をしない様に、姉と母親の部屋に入りました。

母親はちょっと前トイレで失敗してしまい、汚れたままの下着をゴミ箱に捨てたり、タンスにしまったりした事件があるので、全部チェックします。
一通りチェックが終わった頃に食事を終えた母親が戻ってきました。

「おかえり♪お母さん」
「おかえりなさい」
「何しに来たの?」
「お母さんに会いに来たんだよ」
「へへへ」と母親は恥ずかしそうに、微笑みます

ベッドに座りそうになった時、母親は「晩御飯、美味しかった」と言った気がしました。
母親には記憶障害からくる見当識障害があるため、今何時なのか、今何月何日なのか、わかっていません。

壁かけ時計の電池はいつも抜かれていて、我々がいつもセットしています。
(なぜ抜くのかはわかりませんが、おそらく電気代を節約しようとしているのでは?)

アルツハイマー型認知症の人は、記憶障害があるため、覚えることができません。
なので健常者が記憶を頼りに「線」で考えるところを、母親はその場の空気を読んで、その場で想像しながら対応しています。
「線」ではなく「点」で生きているのです。

母親が一番の笑顔を見せた場面は、「もうそろそろ帰るね」と言ったあとでした。
母親にしてみれば、私たち子供は普段の生活パターンにいない人物なので、リズムが狂うのでしょう。
帰ると言ったら満面の笑みになりました。

僕は少し悲しくなりました。