大阪北部地震で、小学生の女の子が倒れてきたブロック塀の下敷きになり、亡くなった悲しい事故がありました。

当初は「天災」と見られていましたが、実は「人災」だったようですね。
TVのコメンテーターが「この事故を教訓として次に生かさなければならない」と言っていました。

これ、間違っています。

宮城県沖地震でたくさんの人がブロック塀の下敷きになって亡くなったため、法律が変わって耐震基準が厳しくなったのでした。

なぜ法律に従わなかったのか、なぜ知らなかったのか、追求するべきです。

高槻市は、耐震基準に違反していたことを、地震の次の日に発表しました。
なぜ1日でわかることが、事故が発生する前にわからないのか、不思議です。

今朝、報道されていたことは、防災アドバイザーに指摘され、学校は市教育委員会に検査してもらっていましたが、検査した市教育委員会の職員3人は、耐震基準に違反していることを知らず、「問題なし」としていたことでした。

学校にしてみれば、市教育委員会のお墨付きをもらったのですから、まさかと思っていたでしょう。
防災アドバイザーは法律違反を知っていたかわかりませんが、改善されるまで追跡するべきでした。

当時秋田に住んでいて宮城県沖地震を体験した私にとっても、地震の記憶は薄れつつあります。
私は、日本海中部地震で津波で多くの子供たちの命が失われた時の方がよく覚えています。

記憶が薄れても、改正された法律はずっと残ります。
でもなぜそのように改正されたのかは、法律には残りません。

体験した私たちができることは、「こんな悲しい事故があって法律が変わったことを語り継ぐこと」かなと思いました。