サイクリング納めを兼ねて家内の実家の墓参りへ。気温が低くきつい北風に悩まされながらの走りでした。

約59kmを走破、今年の最長距離記録だと思いますが、年々この記録は、年齢に反比例して短くなっています。

 

浅川左岸のサイクリングロード、この先で行き止まり。一旦河川敷に降りて中央線鉄橋をくぐってその先にある大和田橋につながるサイクリングロードに戻ります。

お墓です。樹木に覆われて祠(おたまや)のようです。

高尾山・琵琶滝コース(6号路)にあります「洗心」の碑と冬支度をした石仏たちです。

 

 

 

 12月4日にサイクリングで小野路を訪れたことはすでにこのブログ上で紹介していますが、小野路宿里山交流館でお会いたご老人が私に話しかけてきました。生まれて以来93年間小野路宿で生活してきたととのこと。

聞くともなく、いろいろなこの小野路宿の歴史を語ってくれました。

その後、ご老人の話されたことが気になっていて、いろいろな本(けやき出版「多摩の街道」、有峰書店「滅びゆく武蔵野」など、あるいはネットで調べました。その結果を以下に箇条書にしてみました。

 

1.鎌倉時代の道筋


 小野路宿通りは、当時「鎌倉街道上ノ道」と呼ばれる道の一部で、鎌倉幕府と武蔵国府中(現在の府中市)を結ぶ重要な交通路でした。武士や役人の往来が多く、物流の要たったこと。

 

2.徳川家康の霊柩が通った道
 江戸時代、家康の棺を駿府(静岡)から日光東照宮へ運ぶ際に使われた「日光御成道」の支道のひとつで、この地域を通っており、小野路もその経路に含まれていたと伝えられていること。

 

3.近藤勇と新選組ゆかりの地
 幕末には、近藤勇や土方歳三らが小野路にある「小島家」を訪れ、剣術の稽古をしたといわれていること。

 

4.「関屋の切り通し」と「布田道」について)

 この切通し道の存在をご老人の話しで初めて知りました。ぜひ機会を作って歩きたいと思っています。

 関屋の切り通しは、布田(現・調布市)と小野路を結ぶ古道で、鎌倉街道の支道の一つ。武蔵野台地の谷戸(やと)の間を切り開かれた「切り通し道)」で江戸や多摩地域の人々が往来し、明治の頃までは生活道路として利用されていたそうです。

 ハイキングコースとして整備されており、自然と歴史を同時に感じられる道とのこと。調布の甲州街道沿いに布田天神社があります。古くから「布田道」の起点のひとつで、小野路宿へ続くルートの要だったそうです。

 サイクリングでだいぶ前に布田天神社を訪ねたことがあり、小野路宿への起点とは、今日まで知りませんでした。

 春・夏にこの地を訪ねたことはあるが、初冬の今は、今回が初めて。期待通りの里山をのんびり堪能できました。

 多摩丘陵を越えての走行なので、帰路の登坂は、特につらい。

自宅を9時頃出発。里山交流館  11時到着

途中の牛舎に黒和牛が。

樹木やクマザサに覆われたトンネル状の小径。 

奈良ばい谷戸、山並みの向こうに白雲をいただく富士山頂が。

炭焼き小屋

「狭い道です 歩行 者 どうぶつが 優先します! 結の里」の看板。熊はご法度だよね。

この三枚は奈良ばい谷戸の静かな風景

交流館で「小野路うどん」を。

走行図

 今日走ったコースはケヤキやナラ系の樹木が多い、陽が西に傾いているので、一層黄葉が際立っている。また、小径は落葉に覆われ、心地よいカサカサ音が後から追いかけてくるよう。約24kmはしりました。

玉川上水一番橋より上流

玉川上水一番橋より下流

残堀川、雨が降らないので空堀状態、先にみえる橋のところで玉川上水と残堀川が立体交差している。

残堀川と玉川上水が立体交差の場所。右側に五日市街道が。

 

 

仮設?日野橋。下流側に並行して使われていない旧日野橋がある。

日中央線多摩川鉄橋と護岸ジャカゴの上の愛車

幼少のころのジャカゴは、竹で編んで作られた籠に川石を詰めたものだった。今は竹が鉄線に変わっている。

 

 2019年秋、ジムでトレーニングを終えて帰宅途中、小さな柿色の実をつけた美しい生垣を見つけました。そこは造園業者さんの家でした。

 この柿は中国四川省を原産とする常緑の木で、トゲがあります。 

2019年12月、この柿は、発芽率が非常に高いからと言って業者さんから沢山の実をもらいました。それらをプランター埋めました。

翌年(2020)の春、10本ほどが発芽しました。

 つぼみ

今年(2025)11月。発芽して5歳目の1本に鈴なりにかわいい柿色の実を付けました。

 

久しぶりの青空に誘われて

目覚めた朝、久しぶりに澄み渡る青空。自然と「今日は走りに行こうかな」という気分になる。目的地をどこにするか少し考えた結果、前回訪れて印象に残った滝山城址をもう一度目指すことにした。

 

新しいルートで挑戦

今回は二度目の滝山行き。前回とは違い、多摩川の左岸から拝島橋(東京環状線)を渡り、滝山街道に合流する新ルートを選んだ。
滝山城址は山城のため、途中からは未舗装路。本来ならMTBが最適だが、今回は不具合のためクロスバイクを使用。
その結果、ほとんどの登りを「押し歩きハイク」となった。
それでも、山道の静けさと秋の空気が心地よく、思いのほか楽しめた。

 

滝山城址の風景

滝山城址に到着。中の丸からは多摩川と昭和用水堰、その先に拝島市街が一望でき広がる景色は、何度来ても飽きない。

中の丸には印象的なイイギリ(飯桐)の木があり、赤く色づいた実が青空に映えていた。
さらに城跡前には人工的に掘られた大堀切に架かる木橋があり、往時の面影をしのばせる。

 

帰路の立ち寄りスポット

帰りは気ままに水田に挟まれた細道を走りながら「都道瑞穂あきるの八王子線」に合流し、福生方面へ。途中、圓通寺や、秋川ふれあいランド付近(都道166号線)を通過し帰路につく。

 

旅のスナップ

太平洋戦争終戦の九日目(1945年8月24日)に起きた八高線列車衝突事故

八王子市・少林寺入口に建つ「不許葷酒入山門(葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず)」

滝山城址・ 中の丸で愛車と

中の丸から見た多摩川と昭和用水堰、その先に拝島市街

中の丸で初めて目にしたイイギリ(飯桐)の木。真っ赤な実が房をなして風に揺れていた

 

本丸で

人の手で掘られた大堀切に架かる木橋。中の丸と本丸を結んでいる。いざというときは、引橋の役割を負っていたのだろう。

瑞穂あきるの八王子線沿いにある圓通寺と「秋川ふれあいランド」

 

ひとこと感想

久しぶりの晴天に誘われて出かけた滝山城址サイクリング。山城の中は、自転車を押しながらの道のりは少し大変だったけれど、自然の中で野鳥のさえずり、風を感じ、城跡の静けさに大いに満足。本当ならハイキングできた方が小回りが利いていいのかも知れない。

 

 

 千葉県立美術館開催中の作品をじっくり味わったためか、疲労感を覚える。

 千葉港が近いことを知り、また遠方から見える細長いタワーが気になっていたので、海岸で海風を満喫しようと。

千葉ポートパーク案内図

千葉ポートパークにある「千葉ポートタワー」 地上125m、展望台は113mにあり360度の視界が得られる。

以下3枚の写真はタワー展望台からの映像です。

出光興産株式会社 千葉事業所か?。2本の赤白ストライプの高煙突の間から炎(フレアスタック)が見える。

自動車運搬船

千葉県立美術館

海風に吹かれながらビーチブラザ(砂浜)でさざ波と戯れる高校生、かなり強い風の中ウインドウサーフィンを楽しむ若者など見ながら、気分をほぐす。

JR千葉駅

 

 

 家内の本棚にあった『野十郎の炎』を手に取って読んだのが、ことの始まりでした。本の表紙には著者のサインがあり、家内は「三鷹あたりの美術館の展覧会で買ったような気がする」と、はっきりしない話をしていました。

 調べてみると、2006年6月に「没後30年 髙島野十郎展」が三鷹市美術ギャラリーで開催されていたことが分かりました。さらに、本の奥付に初版発行日が2006年6月20日と記されていることから、この展覧会の会場で購入したものだと確信できました。

 本に掲載されている作品はほとんどがモノクロ印刷で、いつかは実物を見て作者の筆づかいを感じたいと願っていました。そんな折、2023年6月7日付の『日経』朝刊と、2025年9月9日付の『日経』夕刊で髙島野十郎の記事を目にしました。後者の記事には、千葉県立美術館で展覧会が開かれていることが紹介されており、私はさっそくネットでチケットを購入しました。

 展覧会で目にした29歳のときの《絡子をかけたる自画像》の絡子(らくす)を見て、彼が多くの仏典を読んでいたという逸話を思い出し、仏教徒としての心を持っていたのだろうと感じました。その魂を胸に、孤独に制作と自然観照に生きた人だったように思えます。作品からも、まさにそうした印象を受けました。

2023年6月7日付朝刊記事

       「野十郎の炎」から引用

       「野十郎の炎」から引用

  

       「野十郎の炎」から引用

         夏 雲(会場で撮影)

     リンゴの木のある風景(会場で撮影)

 

 

 秋分の日、友人二人と共に31kmを走りました。

6時 涼しいうちに出発。

走行図です。今回は、川沿いのコースでほとんどアップダウンがないためとても楽に走れました。

            ⇓

落合川、カルガモ一家

落合川・南沢湧水群

帰り道、泉蔵院に立ち寄る。小平大不動明王尊