育休中小学校教員のぺこりです。
私は昨日まで知りませんでした。
大田堯(たかし)先生という方を。
こんな大御所が日本にはいらっしゃるのに
現在の教育現場にほとんど活かされていないという
残念さ…
は、さておき
素晴らしいお言葉が山ほどあったので
長いですが載せてみます。
◎教育は生命の「根源的自発性」を補助する「アート」である。学習権の学習とは、食事や呼吸とおなじく、情報を自ら獲得したり、発信したりする営みである。いわば脳・神経系の行う新陳代謝の一つであり、人間が生きつづけていくうえでの生存権の一部、基本的人権のことをいう。
子どもは生まれると同時に情報の新陳代謝を始める。情報は姿、形のないものだが、それなしには生きること、成長、発達すらもありえない。教育はその天賦の学習力、生命の根源的自発性を補助する技(アート)である。したがって、上から与えられ、受けるものではなく、むしろその子その子(大人)に与えられたユニークな学習力に寄り添って、ひびき合い、「ひとなる」、一人前になるのを助ける重要な役柄を果たすものである。めいめいが自分の学習力の流儀で、教育を選び取る権利が保障されなければならない。それが「学習権を保障する教育への権利」だということになる。
◎ちがうこと、かかわることに、折りあいをつけて生きつづけるという、循環系のいとなみは、あらゆる生きものがやっているわけですから、これはもう人間だけの問題ではない。根源的自発性を前提にして、この自発性を助けるのが教育の仕事なので、それは本来、非常にむずかしい、高度なアートなんです。
◎違っていいんだよ、じゃなくて違うんです。
モンテッソーリ教育の前提である
「子どもはみんな自己教育力がある」
という考えにも通じるところがあります。
この「前提」について
リヒテルズ直子さんは
性善説、性悪説を出してお話しされていました。
大田堯先生の映画も観てみたいです!
この映画によせて書かれた
谷川俊太郎さんの詩も素敵。
「かすかな光へ」 谷川俊太郎
あかんぼは歯のない口でなめる
やわらかいちいさな手でさわる
なめることさわることのうちに
すでに学びがひそんでいて
あかんぼは嬉しそうに笑っている
言葉より先に 文字よりも前に
波立つ心にささやかな何故?が芽ばえる
何故どうしての木は枝葉を茂らせ
花を咲かせ四方八方に根をはって
決して枯れずに実りを待つ
子どもは意味なく駆け出して
つまずきころび泣きわめく
にじむ血に誰のせいにもできぬ痛みに
すでに学びがかくれていて
子どもはけろりと泣きやんでいる
私たちは知りたがる動物だ
たとえ理由は何ひとつなくても
何の役に立たなくても知りたがり
どこまでも闇を手探りし問いつづけ
かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える
老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた
際限のない言葉の列に学んできた
そしていま自分の無知に学んでいる
世界とおのが心の限りない広さ深さを