1人のeighterのひとりごとです。


関ジャニ∞は今日で終わります。


でも、届かない手紙でも

関ジャニ∞であるうちに

自分の気持ちを形に残したかった


ただそれだけで長文になります

どうか、流してください







関ジャニ∞ へ






2014年

嵐のコンサートが終わった時に

好きって話をしたら

たまたま誘われた1週間後のエイトのライブ

eighterとして応援したいと思いました。

その後、パンぱんだで心を鷲掴みにされて

パンぱんだの沼に沈んでいきます



2018年

友達からのLINEで知って

「なんで!?否定してたじゃん」って

辛すぎて未だに会見も見れなかった

渋谷すばるの脱退。

7人がだいすきでした。

ヤスくんもいなくて

何が起きてるのか分からなかったくらい

でも大倉くんの

「勝手な決断をしたすばるくんの事を嫌いになれなかった」

これが本当に支えになっていました。



2019年

メールを見た時に内容を見なくても分かりました

ファンがみてもわかるくらい関ジャニ∞は

笑顔が減っていた

" 卒業 "  と  " 脱退 "  

この言葉の違いがよく分かった年

もやもやが残りました。

ここから少しずつ関ジャニ∞から

自然と離れていきました。



2020年

コロナ禍で緊急事態宣言

関ジャニ∞は、すぐに動いてくれて

YouTubeでは懐かしい衣装も

私は親が医療従事者で、私もコロナ禍での仕事

関ジャニ∞が本当に心の支えになりました



2021-2022年

この時私はうつ病になりました。

生きることも死ぬ事も出来ない毎日

本当に精一杯で、あんなに楽しみにしていたLIVE

ですら応募を躊躇うほど。

これで降りよう

関ジャニ∞も、私の人生からも。

そう思っていました。

最後にお礼を伝えたくて持っていったうちわは

「ありがとう」と指のイラストが書かれたうちわ。

初めてのアリーナで、前から二列目でした

1曲目で丸ちゃんがその指を真似してくれて

指を指してくれました。

涙が止まらなくなった。

そこからの記憶は本当になくて、でも

コンサートが終わった時

生きててよかった

と自然に言っていました。

明日のことも考えれなかった私が

来年もこの人たちに会いたい

と思うようになりました。

ただ人生そううまくはいきません



2022年

やっと前を向き始めた頃

脳腫瘍 が見つかりました

当時はまだ良性か悪性かも分からなくて

死ぬ事しか考えてなかったけど

私死ぬんかな〜なんて思って。

その時に、安田くんの本に救われます。

18祭の花火を見た時に

5人の関ジャニ∞

をやっと、やっと、やっと。

やっと飲み込むことが出来ました

この人たちを、この5人に着いてきて

間違いなかった

ここから限界オタクが始まります笑




2023年

世の中は理不尽です。

こんなにも乗り越えてきた彼らの20周年

心の底からお祝いしたかった

今まで散々助けて貰ったのに

私は何もしてあげれないのが悲しくて

辛くて、辛くてたまらなかった。

そんな中開催してくれた前夜祭

結局、私が助けられてました



2024年

今日を最後に、名前が変わります。

10年応援してきた関ジャニ∞は

どんなときも乗り越えてきたこの名前は

いつも助けてくれたこの名前は

もうすぐ終わりを迎えます。




最後なので言わせてください




変わって欲しくない

彼ら、20周年なんです

未だに何もしてないのに

なんで?と思ってしまう

私も、関ジャニ∞が大好きだった

でももうそんなこと言うのはこれで最後。


脱退の時も前を向けなかった私

今でも7人を思い出すけど

今の関ジャニ∞がだいすきで

乗り越えてきたeighterとの絆が大好きで


だからきっと、私はこれからも

今のみんなが好きになると思います


今はまだ泣いちゃうけど

次会えた時は嬉し泣きができますよーに。


10年前、嫌われるためだけに生きてきて

友達も一人もいなかった私は

関ジャニ∞のコンサート会場で

ある1人の子と出会いました。


それが今の親友です。



関ジャニ∞ がだいすきです



これからも一緒に夢見させてください



最高で最強の関ジャニ∞ーーーーー!🤝