こんにちは、
今回は最盛期を終えた
ローマ帝国が分裂した経過と
分裂後のローマ帝国について
お伝えしたいと思います、
あなたがこの記事を読めば
ローマ帝国末期について理解でき
現在のヨーロッパに至るまで
幅広く知識を得ることができ、
行きたい大学に行くことができ、
自分の将来の幅が広がり
したいことをしたいようにできます
逆にこの記事を読まなかったら
ローマ帝国末期どころか、
え?ローマ?なにそれ美味しいの?
状態になり、
常識が欠如したまま
学習を続けることになり
将来的に中途半端な人生しか
送れなくなります
ローマ帝国は哲人皇帝こと
マルクス=アウレリウス=
アントニヌス帝の時代の時に
最盛期を迎えました
最盛期…ということは
ここから衰退していくのが
わかりますね、
この皇帝のあと
短期間に多数の皇帝が即位しては
殺される、という軍人皇帝の時代に
突入していきます、
これを終わらせたのが
ディオクレティアヌス帝です、
彼はローマ帝国を東と西にわけ
それぞれに正帝と副帝の2人を
置きました
この統治を
四帝分治制(テトラルキア)
と言います、
これにより乱れていた
政治の秩序を回復させました、
ディオクレティアヌス帝自体は
西ローマ帝国の正帝となりました、
さらにディオクレティアヌスは
皇帝を神として礼拝させ
専制君主として支配しました
これにより元首制から
専制君主制(ドミナトゥス)
へと変化しました、
ちなみに余談ですが
漢字の語句とカタカナの語句は
どちらか片方しか出てくれないので
何と何が同じ意味を持つのか
しっかり把握しておきましょう!
この制作を引き継いだ
コンスタンティヌス帝は
今まで迫害されていた
キリスト教を公認することで
帝国の統一をはかりました、
さらに彼はビザンティウムに
新たな首都を建設して
コンスタンティノープルと改称し
巨大な官僚体制を築きました、
これにより、
せっかく"人はみな平等"という
当初のローマ帝国の姿勢が
完全に崩れ市民の自由は
完全に失われました、
その後、官僚体制を維持するための
重税により、属州の反乱が相次ぎ
それに乗じたゲルマン人の大移動
により帝国内部は混乱を極めました、
さて、このゲルマン人の大移動
皆さんが嫌いな年号を
覚えなくてはいけません
この大移動はヨーロッパだけでなく
インドや中国などのアジアにまで
影響を及ぼしたため
しつこく登場します
でも大丈夫です
ピッタリ覚えることができる
語呂合わせがあります、
3(みん)7(な)で5(GO)年
ゲルマン人の大移動!
375年にゲルマン人が大移動したって
ことですね、わぁー覚えやすい♪
さて、話を戻しますね
ゲルマン人の大移動により
混乱した帝国内部を395年に東西に
分裂させたテオドシウス帝
ここで
コンスタンティノープルを
首都とする東ローマ帝国
(ビザンツ帝国)←この呼びが多い
と
ローマを首都とする
西ローマ帝国に分かれました
東ローマ帝国であるビザンツ帝国は
都市経済が比較的健在で
その後1453年まで続きました、
が
西ローマ帝国は
ゲルマン人傭兵隊長オドアケル
により476年に滅亡しました、
この年号も出てきますね…
語呂合わせです
4(死)7(な)6(む)といって
西ローマ滅亡
"む"は日本古代史で
"ん"なので、
死なないと言ってたけど滅亡したねー
って感じですね
これにて
西ローマ帝国は滅亡を迎えました
今すぐいいね
よろしくお願いします!

